見出し画像

ポストモダンフェミニズムの亡霊

ポストモダン(第三波)以降のフェミニズムでは自己の中に一つの一貫したアイデンティティを保ち続けるよりも、複数のアイデンティティを跨がって行き来しながら生きること、また固有の自我領域を脱すること、統一された自己から脱出して不一致で不連続、不定形(或いはトランス)な存在になることを肯定的に書いてる言説が多数見受けられる。

もし「単一のアイデンティティに縛られず複数のアイデンティティを跨がって行き来しながら生きること」を肯定するのであれば、アカウントAでは善良な市民として生きながらアカウントBでは荒らしまくったり、アカウントCでは自演擁護することも「複数のアイデンティティを跨がって行き来する行為」「自我の一貫性から脱出しようとする行為」「不一致で不連続で不定形な(あるいはトランスな)存在足らんとする行為」にあたるので肯定しないとスジが通らないのである。

な、そうだよな、青識亜論、ドヤコンガ、シュナムル、非常口、呉座勇一、智明、Z李、ガメ・オベール、渋谷のキング

ところで"複数のアイデンティティ"を駆使してはるかぜに悪口を書いて誹謗中傷で損害賠償を命じられた「大物フェミニスト」って一体誰だったんだろう…?🤔

このアイデンティティ(アカウント)複数性論はフェミニストよりもむしろ村崎百郎の方が自覚的で先鋭先駆的だったのである。青山正明のトランスパーソナル心理学
もその一種。

『俺はこの前の阪神大震災で震災報道をBGMにして、アナル&スカトロ専門誌『お尻倶楽部』を片手に鬼畜オナニーを楽しんだ人間のクズである。被災情況を告げる報道陣の非痛な叫び声やヘリコプターの爆音が豊かな臨場感を醸し出してオナニーに花を添えた。さらに夜になっても燃え続ける神戸の夜景にもある種の「美」を感じる始末。いやあ、これがいいんだ。興奮しすぎていつもの一・五倍は精子が流れたね。全く俺はあきれた「タナトス小僧(©中沢新一/たしか今、鬼畜行為の言い訳に中沢新一を引用するのが流行ってんだよなぁ)」だ。
こんな話を聞けば、被災者でなくとも腹が立つだろう。しかし諸君、安心してくれ。俺は反省するどころか更に卑劣なことに、社会生活を送る上ではそんな鬼畜なそぶりは全く他人に見せず、仕事先やご近所で震災の話になると眉をひそめて「本当に大変な事ですね、被害がこれ以上大きくならなければいいんですが」とか言いながら募金箱に小銭を入れる善良な一般小市民なんだ。家の外での行動だけは「誰が見ても普通の人間」をやってるわけだ。正直者には信じられないかも知れないが、鬼畜人には思ってもいない事をしゃべるぐらい何でもないのだ。外面は上品にしてその内面はドロドロというのがゲス人間のライフスタイルである。
https://kougasetumei.hatenablog.com/entry/theaum


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?