ポストモダンフェミニズムの亡霊
ポストモダン(第三波)以降のフェミニズムでは自己の中に一つの一貫したアイデンティティを保ち続けるよりも、複数のアイデンティティを跨がって行き来しながら生きること、また固有の自我領域を脱すること、統一された自己から脱出して不一致で不連続、不定形(或いはトランス)な存在になることを肯定的に書いてる言説が多数見受けられる。
もし「単一のアイデンティティに縛られず複数のアイデンティティを跨がって行き来しながら生きること」を肯定するのであれば、アカウントAでは善良な市民として生きながらアカウントBでは荒らしまくったり、アカウントCでは自演擁護することも「複数のアイデンティティを跨がって行き来する行為」「自我の一貫性から脱出しようとする行為」「不一致で不連続で不定形な(あるいはトランスな)存在足らんとする行為」にあたるので肯定しないとスジが通らないのである。
な、そうだよな、青識亜論、ドヤコンガ、シュナムル、非常口、呉座勇一、智明、Z李、ガメ・オベール、渋谷のキング
ところで"複数のアイデンティティ"を駆使してはるかぜに悪口を書いて誹謗中傷で損害賠償を命じられた「大物フェミニスト」って一体誰だったんだろう…?🤔
このアイデンティティ(アカウント)複数性論はフェミニストよりもむしろ村崎百郎の方が自覚的で先鋭先駆的だったのである。青山正明のトランスパーソナル心理学
もその一種。
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