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「自分のために時間を使う」とは?(デジタル断食2日目)

どもっうなじろう。です

さてデジタル断食、二日目の話なんですが

1日目の報告でも書かせていただいたのですが、めっちゃ楽勝だったのですが、一日目と違って今回は全く家から出ませんでした。

ひたすら家の中

1日目の気づきとしてスマホはオモチャだったという気づきがあるのですが、そのスマホが使えないとぶっちゃけ暇です。

そんな中、妻が

「イエスとエッセネ派」

っていうめっちゃスピリチュアルな約700ページになる本を貸してくれたのでそれを読んでいました。

キリスト教の元になったとされるエッセネ派という秘密集団の教義を退行催眠によって探るという非常にアレな内容になっております。

その本の感想は置いておいて置いて

普段なら読まない本も時間ががあるので普通に読み切れてしまいました。やはり時間があるって素晴らしいです。

最近はタイパだのコスパだのと短時間に色んなことを詰め込むことが多くなっています。

こうやってデジタル断食をしてじっくり本を読む

これって

すごく贅沢な時間の使い方だった


タイパとか何も考えずただ、じっくり本に集中できる。久しく忘れていた感覚だったように思います。

kindleとかその他の電子書籍でもずっと本は読んでいますが、何か他のこと考えたり、早く読み終わって次のことをしなきゃと思ったり、なんか通知が着たり、と何かに追い立てられるように読んでいたような感じがします。

でもデジタル断食中は極端に娯楽が減るのでそんなこと気にする必要もなくなります。

むしろ興味ない700ページの本を読破できるくらい時間があります(笑)

そして逆に現代人はやる事が多すぎるんだなと思いました。

娯楽はほぼ無限に供給されるし、情報は異常な量が飛び交っていて、そのすべてを把握しようと思ったらいくら時間があっても足りません。

でも

人が生きていく上で本当に必要な情報はごくわずかで、実は結構いらない情報だったり、あってもなくても良いような情報だったりします。

だからこうやって情報の嵐を一度ストップして、「じっくりと時間を使う」というのは非常に贅沢なことなのだと思いました

流されるように生きるのではなく、自分の意志とか考えをもって生きるためにはやはり一度立ち止まって考える時間も必要なのだと思います。

そのためには、「自分のために時間を使う」必要があるのだと思います。

大事なことなので追加で説明しましょう。

スマホ使うという事は、アプリ作ってる会社のために時間を使うという事になります。人によってそれはマチマチですが、facebookだったり、Google、Amazon、その他会社のサービスを使って一番喜んでいるのはその会社です。

それは自分のために時間を使うという事とは違う。

もちろんそれらのサービスはめっちゃ便利で私もよく使うし必要です。でもそのために自分の時間の一部が使われるし、思考を誘導されてしまう。

だからいつもとは言わないけどこうやってたまに距離を取って「自分だけの時間」を確保することに意味があるのではないかと思いました。


ちなみに「イエスとエッセネ派」は意外と面白かったです。妻も前から私に読ませたかったらしく大変満足されておりました。

そんなデジタル断食二日目の報告でした~

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