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あの日あの時ぼくらは同じ道を歩いていた
留学先の寮の食堂である日本人と出会った。
現地語で「隣座ってもいい?」と話しかけてきた。「えっ日本人だよね?私もだよ」と日本語で返す私。
すぐに意気投合した。
『留学中は日本人の友達は作らない方がよい』。こう言われることも多いけれど、博学で勉強家の彼女の存在はとてもプラスだった。一緒にいるだけで、私も頑張らなくちゃと勉強に身が入った。良いライバルになれたのだ。
人間的にも尊敬できる人であることがすぐわかった。私にしては珍しくなんでも相談した。日本語でも現地語でも沢山話をしたし、冗談も悩みも語り尽くした。
同じ国から来て、同じ街の同じ寮に住み、同じ言語を勉強する。同じものを目にし、笑い合う。あの時私たちは確かに同じ道を歩いていた。
しかし帰国してからはそれぞれ別の道へと進むことになった。
私は、勉学への未練を感じつつも、早く社会人となり身を立てることを選択。文系だから院に残っても就職しやすくことはなく、その後のことも心配だったし、ものぐさな自分が他の研究者よりも勉強に励んでいける自信もなかった。一般企業に就職、間もなく結婚して母となり、ワーキングマザーとなった。
友人は熱心に勉強を続け大学院に進学、修士課程後も大学に残り、語学講師をしながら研究に専念した。
私からすれば、彼女はヒーローみたいだった。まだあの世界にいられて、しかもキャリアアップして先生にもなって、格好いいな…と。語学を離れたのは自分だけど、正直、羨ましい気持ちでいっぱいだった。
それから7年ほどたったある日、彼女から結婚が決まったと報告があった。結婚後は、ご主人の出身地である隣県に移るということだが、十分通勤可能な範囲内である。なのに、彼女は語学講師は辞め、ご主人のご両親の経営する会社に入社するつもりなんだという。
「えっ、なんで?あんなに頑張ってきたのに?本当に辞めていいの?!」
勢い余って不躾に訊いた私に、彼女は優しく言った。
「ね、私はずっと、あなたのことが羨ましかったんよ」
言葉が出なかった。
私のヒーローは、私のように、大切な人と家庭を築くことを何より望んでいた。
彼女の言葉で、私は何気ないこの生活が、自分自身の選択の連続で作られてきたこと、そしてそれは他人も羨むような恵まれた尊いものであることを知った。
今、彼女は子供を授かり母となった。私たちの生活はまた少し似てきたかもしれない。
再び私たちの道が交差することはあるのかな?
そしてそれはいつどこで?
非常に楽しみである。