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なんのはなしですか -モノが老いるとき-
こんにちは、unagiです。
noteを始めたばかりの頃、「なんのはなしですか」というハッシュタグを作ったコニシ木の子さんの記事を読ませていただきました。…そして、このハッシュタグが気に入ってしまいました笑。
よくわからない話でも、中途半端でも、それがそのまま「そういうジャンル」として成立する面白さ。そして、このハッシュタグに集まる記事だからこその気取らないユニークさ。
今日はそれに便乗して、つぶやき(?)というか、よくわからない話を書いてみようと思います…笑
モノが老いるとき
変な感覚かもしれませんが、モノに対して、「老い」に似たものを感じる時があります。これは、単に「使い込まれた」とか、「擦り切れて汚れた」とか、見た目の問題とは限らなくて。
――例えば、きょうだいがゲームセンターで取って、「取った」ことに満足してそのまま放置されたぬいぐるみやフィギュア。
特別な時だけ着用した、回数にしてみれば片手に収まるほども使っていないドレスや靴。
大事に使ってきたけど、進学を期に買い替えて使わなくなったペンケース。
小さい頃のお気に入りで大切に扱っていた、まだ綺麗なぬいぐるみ達。
たとえ見た目がきれいでも、「もう使わなくなったもの」には、独特の物寂しさが漂っている気がして、なんだか居た堪れないような気持ちになります。
個人的には、しばらく会っていなかった親や祖父母、かつての恩師…そういう人に久しぶりに会った時に「ああ、見ないうちにめっきり年を取ったんだなあ」と、寂しさや切なさを覚える感覚に似ているかなと思います。
不思議なのは、つい最近まで使っていたものでも、使うのをやめてから見てみると「あれ、こんなにくたびれた顔をしていたっけ」と思うこと。
「モノ」が何かしらの役目を果たしている時には、見た目は多少くたびれていても、どこかイキイキとした表情あるような気がします。
もしかして、人もそう?――と思うと、役目を探して彷徨っている私は少しゾッとしてしまうのです。
生きているだけでも、良くも悪くもきっと誰かに影響を与えている。だけど、(本当は存在しないかもしれない)普通と背比べをして、焦りと罪悪感はなかなか消えない。難しいですね。
今日はここまで。
他にもよくわからない話は何個かあるので、またちょこちょこ出していけたらいいな、と思っています。
お読みいただきありがとうございました。