小説 " Twilight Hill " (1/1)
遠くにナイル河を眺めつつ、コンパスが指し示した地点に僕たちは着地してみた。
あたりはまるで、さんご礁のある白い砂浜のような、そんな白さの砂の、砂漠の丘陵地帯だった。そしてそこでは、表面を除いては、ほとんど全部砂に埋まっている平板状の墓石が規則正しく列をつくって並んでいた。それより遠くの方には、やはり砂に埋もれかけている、オベリスクの残骸が見えた。
夕方の中空に架かるうすぼけた輪郭の白い太陽から、柔らかく淡い光が降り注いでいる。砂漠だというのに暑さはまったく感じられない。遠くの方に、三つのピラミッドとスフィンクスの石像が見える。その顔は東の方の空を向いていたが、しっかりした顔付きで空の彼方をじっと見つめているように見えた。
それでここが、有名なギゼーのピラミッドの近くらしいことが分かったが、どうも何かが変わっているような雰囲気がした。かすかな風が吹いた。…そう、ここでは、なぜか時間がとてもゆっくりと流れているような感じがする。
「ここは…」
「ここは、『トワイライト・ヒル(薄暮の丘陵)』」
その声にふり返ると、石切り場から切り出されたままひとつ放っておかれた巨石の上に、いつの間にか、一面が虹色に彩られた羽根の翼をもった、天使のような人物が座っていた。彼女はくすんだ赤紫色のローブを身にまとい、美しい真っ白な髪をしていた。そして片手には、古代に祭器として用いられていたらしい棒杖のようなものを持っていた。
「ようこそここへ。宝珠を持つ者よ」
「あなたは…」
「私は、この墓地を見守るために遣わされた者。マイルストーンの守護者でもあるわ」
天使は、神秘的なまなざしで僕を見つめた。
「『トワイライト・ヒル』は霊の世界。生者の目には見えない、死後の世界の一部よ。ここは、生者の誰にも知られていない場所。あなたはその宝珠の魔力のおかげで、私と、この世界を見ることができたのよ」
「死後の世界ですって?」
僕は、仏教徒だった祖母から小さい頃に教わった話を思い出した。それは霊界や、天国や地獄などについて、そして道徳の大切さについての、とても印象深い教訓だった。祖母がいなかったら、僕はこのような精神世界には無縁だったかも知れなかった。
「そうよ。あなたは死後の世界を信じる?」
「ええ…」
その質問にとまどいながらも、僕は答えた。
僕は世間でよく、センセーショナルにとり上げられる類の事件を思い出した。幽霊、ポルターガイストなどの出現や、臨死体験、前世記憶、その他の様々な「霊的現象」とでも呼べそうなもの…すべては霊界の実在性を強調しているかのようだ。
「そう、死者には、死後の生命があるわ。私たちの世界では古代、人間は死を迎えた後も、生ける者たちと同じようにこの世界で生活し、生者との絆が途絶えることはないと、広く信じられていた。ただ、生きる者の目には、それが見えないだけ…」
僕の考えを見抜いたかのように、天使が言った。
「では、霊界というものは、本当にあったんですね」
「ええ、だから死は、一切の終わりを意味するものではないわ。魂の消滅という意味での死や、滅亡というものはないのよ。生命は永遠よ。人間は本来、不死であり、死後の生があり、死を超克できる存在なの。死というものは二つの世界の間を移り行く際の境い目に過ぎないのよ」
そして天使は静かに告げた。
「私の名前はネフティス。私は、このエジプトの地の死者を守護するために、死後の世界、つまり霊界のなかの、天上界というところから、この現世に派遣されてきた天使よ。私は霊なる存在。この地では、女神イシスの妹として、死者を守護する四人の女神の一人として知られているわ。そして私はここで、もう何千年もの間、墓地とマイルストーンを見守ってきたわ」
「えっ、そんなに長い間ですか?」
天使は若い女性の姿のままで、少しも老いている気配がない。
「霊界は時間を超越した世界、四次元の世界ですもの」
天使はかすかな笑みを浮かべた。
僕は思わず腕時計を見た。時計の針は、さっき見たときに比べて全然進んでいなかった。
「本当だ…時計も止まっている」
僕の声はうわずった。
「そう、ここでは三次元的な意味での時間は用をなさないのよ」
天使は頷いた。
「私たちはここに生活する、代々の人たちを見守ってきたわ。霊界と現世は重なり合って存在している。だから、ほかの国と同じく、このエジプトでも大昔、人は死んで霊になってからも、生きている人々と同じ場所で、生きている人たちと一緒に暮らしていると見なされていたわ。たとえその人の姿は見えなくてもね。そのために人は、自分の家の先祖を祀るようになった。祖先は死後も、自分たちと一緒に家に住み、暮らしを共にしていると信じてきたのよ。それで先祖との絆が意識されるようになったの。今でも先祖信仰は世界の各地に残っているわ。だからあなたも、祖先とのつながりを大切になさい」
ネフティスは穏やかにささやいた。