近況報告から考える本質と側(がわ)
暑い。
夜になっても暑い。
なんなんだよ、マジで。
【近郊報告】
big the grapeは現在新曲が3曲が概ね完成していて、9月のライブハウスでの音源発売に向けてレコーディングをするぞという意気込みだけが盛大に高まっているものの、実際にはなにもやっていないというやってるやってる詐欺の真っ只中です。
結構いい曲ができているんだけどな。
髪型がそれはもう大変なジミヘンmeets全盛期のアンドレザジャイアントみたいな感じなので、曲もなんかそんな感じでいつもに増して荒々しい感じかな??
とにかく、、9月に間に合うのか?ま、気長にお待ちください。
久々のライブは
9/23 sat.
大阪 某所(阿倍野にあります)
アコースティックセット
9/24 sun.
名古屋 某所(今池にあります)
バンドセット
9/29 fri.
高円寺 HIGH
バンドセット
という感じ。
そのあとの予定は何も決まっていないので、このままいくと年内ラストライブになります。
big the grape以外でも新曲のネタやアイディアは少しあるけど、全く形にするに至っておりません。
何か進展があればお伝えします。
先日、坦々キーマカレーというのを作りました。
担々麺の風味をカレーを足したもので、ゴマと花椒が香ってさらに企業秘密の隠し味も入っていてこれが最高に美味しいんです。
今までたくさん作ってきたカレーの中で結構気に入っていたのがオーセンティックポークだったのですが、何も考えずに一番美味しいなと思えて万人受けするのはひょっとしたらこの坦々キーマカレーなのかもしれません。
だからお時間ある際にでも一度ご賞味頂きたいものです。
ボクが間借りカレーをしているところは基本バーなので、ほとんどのお客さんがお酒だけを飲みに来るのは仕方ないんだけど、本当はもっとたくさんの人にカレーを食べてもらいたいと思ってます。
どうしたらいいのだろうか?
いっそのことコック服を着てコック帽子を被ってカウンターに立ったほうが、意外とお客さんはカレーを頼まなきゃいけないと考えるのかもしれませんね。
ジミヘンヘアとコック服。
この相反する2つを同じ人間が全うするというのはあんまり聞いたことがないということはさておき。
なんだってそうなのですが、やっぱり『側』というのは大切で、それっぽい『側』というのはそれっぽく見えるものです。
実際にジミヘンみたいな髪型をしても、それはそれっぽいというハッタリで音楽がダサい人はたくさんいます。
コック服を着ている店員がいる店でも不味い店はいくつもあるでしょう。
しかしながら凄そう/美味そうに見えると思わせただけで、ある意味勝ちというか、そう見えない人よりも一歩先に進んでいるというものまた事実であります。
昔よくツアーをしていた時に聞いた話。
地方だと東京から来るパンクバンドはいわゆるパンクっぽい格好のバンドのほうがお客さんが入る、と。
あの頃は今よりも情報が少なかったからなのかもしれないけど、フライヤーやポスターでわかりやすいビジュアルをしているパンクバンドは、そうじゃないバンドに比べるとやっぱり引きがいいんですね。まさしくこれはパンクバンドだ!という印象でそういうのが好きな人がたくさん集まる、みたいな。
実際の音楽の内容はそうでもなかったとしても。
音楽の制作もカレーの調理も作り手の温度と消費する側の温度は絶対に同じじゃないわけで、消費者はあそこのコードがAagu#9なのがいいんだ、とか、ターメリックを小さじ1杯ではなく1.5にしたほうがいいなんて思うわけではなく、そんな詳細を感じ取ってはいません。
これは消費者を馬鹿にしているわけでなく、食も含めたエンタメとは表層的なところだけでも満足できるのであればそれでいいんです。
なんかわからんけどいい感じとか、なんだか箸が進む美味しさだね、とか。
そんな風に思ってもらえたらいいんです。
つーか、プロや評論家でもない人がいちいちターメリックの量を気にしていたら食事なんて楽しくないでしょ。
ま、とにかくその最初の一歩がビジュアルによって入りやすくなるのであれば、『側』というのは大切ですね。
そんでもって、そんな『側』を身にまとうことで、まとったその人がその世界観を演じることで何かしら覚醒するというのもまた面白い。
髪の毛がモジャモジャになることでワイルドになって今までとは違ったギタープレイになるとか、コック服を着ることで凛と背筋が伸びて清潔感をもって調理に勤しむとか、今までの自分とは違う人間になっていくという得てしてありうる話ではありますね。
『側』の持つ価値や本質、意味を知らないと、ただの見かけだおしだったり、みんながやっているからとか、単にユニフォームだからという感じになってしまい、中身がないという場合もたくさんありますが、単なる『側』がきっかけで、その人自身がいい意味で目覚めていくのであれば、それはそれでアリですね。
なんだかんだで『側』は他人への印象付けと自分への役割も振り当てるという、外にも内にも作用するものですね。
庶民を刑務官と罪人のコスプレをさせて擬似の刑務所を作って入れてみるという実験をしたら、刑務官コスプレの人は実際の刑務官っぽく罪を犯してない罪人のコスプレの庶民に対して乱暴になっていき、罪人のコスプレの人はやってもない犯罪を反省し出したという映画がありました。
これとて、そういうことが作用した極端な例のひとつなのかもしれません。
「制服の乱れは心の乱れ」
こちらもよく言ったものですね。
ただ実際に一番かっこいいのはそういった『側』に関係なく、そんな風に見えない人がぶっとんだことをする時ですね。
ギャップ萌えというやつでしょうか。
あとスーツを着てそれっぽく見えないヤクザのほうがタチが悪いってのもそういうことですな。