世間が思い描く幸福ってどんなだ、 「仕事がとっても忙しくて、力不足を感じたりする時もありますけど、悩みですら毎日新鮮で楽しいです」って言える人だろうか 仕事も勉強も辞めたいし、悩みは答えのない問ばかりで、自分の存在価値も人生の意味も分かんない人は 愛想笑いして「たのしいです」と口を動かさないと幸福を享受したことにならないのかな それでもこっち側の世界で生きることを選び取ってくれた人の幸福を願い、赦しを与えてくれる、そんな利他的な優しさがあるね 飛び降りずに乗った電車の閉
新しい場所を見つける度に、別の場所が消えていく それを忘れたくなくて写真を撮っている。 述懐というより、忘却への恐れでシャッターを切ってる。 わたしが居た場所、わたしというアーカイブできない存在が居た事実が大事。この「わたし」は代替可能で、あなたでも人々でも固有名詞でもいい。その時間その場所に誰かが居た事実に、尊い永遠の一回性が立ち現れている。だから私はユートピアとか天国は興味なくて。永遠なる反復再生なんて生きながら殺されてるみたいなもんだよ ローマのトレビの泉で撮った写真
2024年5月6日(月) 早起きしたのに結局家出るの遅れちゃった When I Was A King聴いて走って王になってた。なんて軽い言い回しで好きな曲のこと取り繕ってしまうの本当に悪い癖だよ MONOEYES前、VIVAステージに流れるジターバグを皆で口ずさむ待機時間でもう幸せ。なりますように、の手触りはずっと柔らかいよ~ Run Runでゆったり横揺れから始まるダイバーの群衆。 見上げたらもう両隣でリフト起こっててにっこり。 4人に向かって騎馬戦みたいに突き進んでい
2024年2月7日(木) 確証なんてないはずなのに、どこからか絶対やってくれる自信があったから信じて待ってました 我々はあくまでこのStay Asの物語を彼らの軌跡として客観的に"読んでいる"に過ぎない。なのに、あたかも聴いている自分が共に道を辿ってきたかのような共感を覚える。それはそれは壮絶な歴史を歩み、壮絶な苦しみも味わってきた彼らの走馬灯を見ているような。あるいは生き別れの兄弟の、知っているようで知らない人生を覗き観ているような。 近くて遠い、触れられそうで触れら
拾われる音と拾われない音があるのは、 読まれる歴史と読まれない歴史があるみたい 誰もがたやすく発信源に成り得る現代でこそ、身近に思える感覚だと思う ニュースで伝えられる報道には埋もれた人々の声があるし、 SNSの投稿で語る経験の裏には、きっと語られないまま仕舞っておかれる思い出がある 音楽、歴史、経験とかっていうのはどれもメロディなり、文字言語なり、視覚的要素なり、何らかのコードを以て表現され、特定のメディアを媒介として取捨選択のプロセスを辿りながら伝播している。CD、本、