菜の花を見ない房総半島横断鉄道の旅
千葉県のローカル線と言えば、銚子電鉄が有名だが、銚子電鉄に負けずとも劣らないローカル線が房総半島を突っ切っている。JR内房線の五井駅から上総中野駅を結ぶ小湊鉄道と上総中野駅からJR外房線の大原駅を結ぶいすみ鉄道である。ざっくりと図に示すと以下のような感じだ。
3月某日、この小湊鉄道といすみ鉄道に乗ってきた。
レトロさ漂う小湊鉄道
東京から内房線で小湊鉄道の始発・五井駅まで、まず向かったのだが、あれ、ものすごい人…。
確かに、この日は久しぶりに晴れた土日だったので、観光客が押し寄せるのは無理もない。ただ、JRとの乗り換え改札から小湊鉄道に乗り換える人があふれかえるほどなのだ。「え、小湊鉄道ってこんなに人気路線なの?」と思っていたのだが、この点は単に私のリサーチ不足だった。そう、この時期は小湊鉄道といすみ鉄道が一年で最も混む”菜の花”の時期だったのだ。特にいすみ鉄道の菜の花は私も前から知っていたのだが、基本的に花に興味がないのでこの人混みを見るまで菜の花のことをすっかり忘れていたのだ。
旬な時期に当たってラッキーじゃないかと思われるかもしれないが、私はむしろローカル線の雰囲気を味わいたくてここまで来たので、この黒山の人だかりは正直、あまり…(コロナ禍で苦しい鉄道会社にとっては何よりなのだが)
目算が狂ってしまった。五井駅の人だかりを見ながら「いっそ、房総半島一周に予定変更しようか」とも思ったが、せっかくここまで来たのだからと覚悟を決めた。
グダグダしていたので、小湊鉄道の発車時刻直前に滑り込むことになった。案の定、2両編成の車内は満員状態。土日の山手線くらいの混雑はしている。仕方がなくドア付近に陣取り、つり革に掴まる。
混雑はあまり嬉しくはないものの、それでも小湊鉄道は素晴らしかった。田園地帯や山間を走っていく車窓は心洗われる。そして、何より素晴らしいのが車両の雰囲気だ。1時間強で列車は終点の上総中野駅に着く。乗客が降りた車内を改めて見てみると、レトロな雰囲気がそのまま残されているのがよく分かる。
ひと通り車内を見てから、ようやく列車の外観をゆっくり拝む。これまたレトロな雰囲気が良い。
この車両はキハ200形という1960~70年代に製造されたもので、実に60年に渡り人を運び続けている。ところどころ年季を感じされるが、末永く使われてほしいと願ってやまない。
2社並立体制の経緯
さて、上総中野駅から先はいすみ鉄道に乗り換える。駅には島式のホームが並んでおり一見、同じ会社の路線にすら思えるが、小湊鉄道といすみ鉄道はまったくの別会社だ。しかも、この2社の乗り換え駅である上総中野駅は、お世辞にも大きな駅とは言い難い。「なぜ、こんな駅で運行会社が分かれているんだ」というのが素朴な疑問として浮かぶ。
この謎を解くには歴史を遡る必要がある。
もともと小湊鉄道は、五井駅から房総半島を横断し安房郡小湊町(現在の鴨川市)を結ぶ鉄道として大正2年に認可を受けた。小湊には、日蓮宗の大本山である誕生寺(日蓮の出生地)があり、そこへの参詣需要を狙っていたものと思われる。
資金調達に苦労しつつも、大正14年から部分開業を進め、昭和3年には現在と同じように五井駅から上総中野駅までが開業した。ただ、ここで資金が底をつき、工事は中止となった。
一方、同時期に小湊鉄道とは別に房総半島横断鉄道の敷設を目指したグループがいた。当時の国鉄(現在のJR)である。
昭和5年には大原駅から大多喜駅間で、昭和9年には上総中野駅まで国鉄木原線が開業した。この"木原線"というネーミングは、”木”更津と”大”原を結ぶ路線という意味が込められており、当初の計画では大原駅から久留里線の終点である上総亀山駅までを結ぶことで房総半島横断を目指したようだ。ただ、国鉄もこれ以上の延伸は進めなかった。
両者とも、そもそも房総半島が人口の多くない地域であるため、需要が見込めなかったという点もあるだろう。また、小湊鉄道にとっても、国鉄にとっても「上総中野より先は向こうが作ってくれたから、まあいいか」という思いはあったようだ。
その後、国鉄木原線は国鉄民営化に伴い、いったんJR木原線となったものの、国鉄再建法の第1次特定地方交通線に指定されていたため廃止・転換の対象となっていた。昭和62年には、JRから分離された木原線の運行を担う第三セクターとして「いすみ鉄道株式会社」が設立され、翌年にはJR木原線廃止・いすみ鉄道いすみ線開業となった。
かくして、五井駅から大原駅の間は、上総中野駅を境にして2つの鉄道会社がそれぞれで列車を走らせている今の状態となっている。
経営努力が垣間見えるいすみ鉄道
話を元に戻そう。上総中野駅から、いすみ鉄道に乗り換える。
塗装が、先ほどまで乗っていた小湊鉄道のキハ200形に似ているが、別物だ。外観からだと分かりにくいが、こちらの車両はそこそこ新しい。
いすみ鉄道の途中駅には大多喜城の城下町として栄え、現在も房総の小江戸と称される大多喜がある。短時間だが、途中下車をする。
お昼時だったので、よほどお店で何か食べようかとも思ったが、駅周辺にあまり飲食店がないのと、あるところも価格設定がお高めのところばかりだったので、やむなく駅のベンチでコンビニで買った軽食をつまむ。
人混みで少し辟易していたので、ゆったりとした時間が流れる大多喜駅は楽しかった。次の列車まで、まだもう少し時間があるので、構内をぶらぶらする。ふと駅名標に目が付く。
駅名標には「デンタルサポート 大多喜」と書かれている。
どうもいすみ鉄道では、全駅を対象に駅名のネーミングライツ(命名権)契約を行っているようだ。HPを見ると、まだいくつかの駅では募集を行っているうえ、鉄道名のネーミングライツまで募集している。
ほどなくして大原行の列車が来たので乗り込む。また、お客さんでごった返しているので写真は撮らなかったが、よく見ると車内や列車外観にも広告がラッピングされていたりする。
一部車両では、でかでかと広告がされているので、車内で写真を撮りに来たと思われるグループは「あんまり、広告が大きすぎて、ちょっとねえ」「小湊鉄道の方が写真映えする」という話をしているのを立ち聞きするほどだった。
確かに、写真目当ての観光客としては、少し難がある露骨な広告ではあるが、これらの涙ぐましい経営努力の背景には、いすみ鉄道が置かれた厳しい経営環境がある。
経営戦略が全く異なる2社
前述したようにいすみ鉄道は、JRからの分離に伴い第三セクターとして運行されている。ただ、JRから分離される程度には、元から赤字のひどい路線であったため、三セクになってからも経営は厳しいものだった。特に、三セクになったことで出資している地元自治体にも負担が行くことになるので、たびたび存廃議論がなされていた。
平成19年には、関係者によって構成される「いすみ鉄道再生会議」において「平成20・21年度を検証期間とし、収支改善が見込まれない場合は廃止を検討する」とされた。いよいよ窮地に立たされたいすみ鉄道は、一般公募により新たな社長を選任し、経営改善に向けた取組を進めた。幸い、取組は功を奏し、現在もいすみ鉄道は存続しているものの、経営状況が苦しいことには変わりはなく、このような取組を続けているのだ。
一方、小湊鉄道に目をやると、ネーミングライツ契約はおろか、ラッピング車両はないし、車内広告もそこまで目立たない。なりふり構ってはいられない いすみ鉄道とはあまりに対照的だ。
あくまで、コロナ前の話だが、小湊鉄道はそのレトロな雰囲気を活かした観光需要の取り込みや比較的高めの運賃設定などが功を奏しているのか鉄道事業単体でも黒字を出している。ただ、それ以上に大きいのはバス事業での高収益である。
小湊鉄道は、会社名に鉄道と冠しているが、実はその収益のメインはバス事業である。千葉県内のバス路線を手広く展開しているほか、東京との高速バス事業なども手掛けている。実際、意識して見てみると都内でも小湊鉄道のバスを見る機会は多い。このような別の収益源をしっかりと確保しているからこそ、レトロな雰囲気を守りながら鉄道事業を行えているという側面は大きいだろう。
少子高齢化・地方の過疎化が進む中で、鉄道事業の経営というのはどうしても苦しいものにならざるを得ない。「どのようにして地域の足を守り続けていくのか」という共通命題に全く異なるアプローチをとる2社の対比は非常に興味深い。
参考文献
財経新聞(2017)「明暗わかれるローカル線 生き残りへあの手この手の努力」『財経新聞』2017年9月2日、https://www.zaikei.co.jp/article/20170902/396107.html
「小湊鐡道」『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B9%8A%E9%90%B5%E9%81%93「いすみ鉄道」『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%99%E3%81%BF%E9%89%84%E9%81%93#cite_note-27
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