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消滅世界

今日は村田沙耶香の「消滅世界」を読み終えた。
村田沙耶香さんの数々の作品に共通しているこの不気味さ。そして、描かれる非現実的な世界を「有り得ない」と言い切れないこのもどかしさ。これが村田沙耶香さんの書く作品が私たちを惹きつけるのだと、読者の誰もがそう感じるだろう。

羊文学「人間だった」の歌詞を思い出す。
「もっと便利に、もっと自由に。何を得て、何を失ってきたのだろう。」
「デザインされる街、デザインされる子ども。」
これがぴたりと消滅世界に当てはまる。
そして、私たちが生きる世界にも。
私たちは解決するための問題を生み出し、それを世界は"便利"になったと大喜びする。
私たちは粘土のように形作られていき、型に"はまる"ようにデザインされる。しかしこれは誰に強制されるわけではない。主人公の雨音さんの言う通り「発狂するのがいちばん楽だから」、そして「一番恐ろしい発狂は正常だから」なのだ。

この消滅世界に不気味さを覚えるのは、異物なものだからだろう。正しくないから、間違っているからではなく、見慣れていないものだから。これがもし私たちが毎日生きる世界になったら最初は異物反応を起こし、後には慣れるだろう。
人間には「適応」という能力が備わっているから。何にでも私たちは適応し、慣れるのだ。
これが私たち人類がここまで進化した秘訣に違いない。
しかし、この「適応」というものの恐ろしさは私の頭から足まで電気が走るようなびりびりする感覚を生じさせる。この現象が「消滅世界」を読む間、何度も生じた。

この作品は不気味だ。そして、十分有り得るのだ。

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