「海馬万句合」第2回 大賞句&コメント大賞発表

お待たせいたしました。「海馬万句合」第2回、大賞句&コメント大賞を発表いたします。

まず、大賞句はこちら。

真空の完全がある/鶴彬     川合大祐 

題「エノケンの笑ひにつゞく暗い明日/鶴彬」の特選句でした。

海馬による選評では、次のように書きました。

斜線の前の部分「真空の完全がある」は奇妙な断言である。真空とはその場における完全な物質の欠如のことだ。したがって「真空の完全」では「完全」の意味が重なって冗長である。「真空」で十分なのであり、その時点で無視しがたい欠点のある作品に一見では思える。さらに、句末に「/鶴彬」とあることであたかもこの句が鶴彬の作品であるかのように示されている。これでは句の欠点以前の、創作としての最低限のルールさえ守れていないと言われても仕方がないだろう。しかし、斜線の前後が向き合うことで、この句は不思議な磁力を放ち始める。戦前・戦中において鶴のように創作で権力に立ち向かうことはほぼ無意味だったのであり、それが意味を得たのは彼が命を落としたという事実によって、その事実が戦後の文脈に回収されたことによって、である。鶴の句群は自らの死に向けて投げつけられており、時の作用によってその真空を通り抜けて私たちに届いているのだ。そうした鶴の地点から見て、今の私たちのあり様は真空の向こうにあるさらなる空虚、「真空の完全」なのではなかろうか。「/鶴彬」という署名を句そのものに刻み込むことによって、この句は今の私たちの生きる場を撃つことに確かに成功している。

まず鶴彬の句を題として出されて、鶴彬の代作をしてしまうという発想に驚きます。また、それを言語的握力で作品化してしまう力技も、さらにはそれを公の場に提示することのできる決意にも圧倒されます。他にも魅力的な作品、これからもくりかえしどこかで言及される作品がありましたが、「海馬万句合」という場に、川柳史、それも歴史の総体の切りはなされたものではなく、戦前・戦後そして現在にまで現実の歴史と絡み合った川柳史が与える深度と、そこから波及して生み出される広がりを与えてくれたこの句を、今回の大賞句として選ぶのは必然だと思いました。まあ、こんな句を選んでしまうと、選んだ方も何というか責任を負わざるをえなくなりそうで大変ではあるのですが、受け取った以上しゃあねえなあという感じです。川合さん、ありがとうございます。

さて、コメント大賞ですが、こちらは嘔吐彗星さんによる「ずっと前ここには雨が降っていた/今田健太郎(題「おれ」)」についてのコメントを選びました(コメントは作者名発表前のもの)。

定点観測カメラの記録のようでいて、紛れもない一人称視点による記述。
《ずっと前》がいつごろで《ここ》がどこなのか、語り手の記憶でしかアクセスできない。
この報告には詳細もなければ、伝えるための加工も施されていない。語り手はみずからの経験を、ただそれだけのこととして引き受けている。
「おれ」に纏わりつく意味の修飾をそぎ落としていけば、残るのは視点くらいのものかもしれない。座標の中でたまたまそこにいただけ。
たったそれだけのことでも、代替はきかない。そのことのただならなさ……と言ったらまた大げさになりそうな内容を、定型に静かに収めている。
これ以上分割できない私性、もとい「おれ」性の句を見た。

大賞句を選ぶ以上に、コメント大賞の選考は大変でした。それぞれの評者のスタイルもばらばらで、短い言葉でのシンプルな評もあり、全句評もあり、YouTube動画での評もありで、読む・聴くのは楽しかったですが、統一的な基準は作りようがないので最後はもう独断しかなく・・・。

その中で、上記の評を含む嘔吐彗星さんの3つの評は端正な文章で、それぞれの句にぴったりの深度での読みを示していて、これからの川柳句評の、これがスタンダードになると素晴らしいなと思うものでした。

嘔吐彗星さんによるあと二つの評は以下の通り。

乾いている暇のない鎌のカーブ/竹井紫乙
https://twitter.com/vomitcomet09/status/1579757354379542530

光速−光速−Take the “E” train/川合大祐
https://twitter.com/vomitcomet09/status/1579415080596541440

というわけで、大賞句&コメント大賞が決定、これで「海馬万句合」第2回はついにお開きとなります。長い期間お付き合いいただき、ありがとうございました。第3回、じぶんが元気であれば、来年9月投句でまたやるつもりですので、そのときにまたお会いしましょう!


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