今の気分
側から見ても本当に苦労したんだなと思える人が言う「苦労」と、自分の「苦労」を同じものと思うのは烏滸がましい気もするけど。
「私は随分苦労して来た」
ストレートなこの言葉に心がふっと楽になる気がした。
何を「苦労」と言うかは人それぞれだろうけど、一人一人違った苦労があるんだろう。
あの人にはあの人にしかわからない苦労があるように、私にも私にしかわからない苦労があるのだ。
それは、どちらが重いとか軽いとか比べられない。
ある人にとっては軽くて自分にとっては重いかもしれない。
逆も然り。
そもそも、苦労に重いも軽いも無いのかもしれない。
大切なことはなんだろう?
自分だけが感じてきた苦労を、わかってあげることじゃないか?
すぐにわかってあげることが難しいなら、
わかるためにどうしたらいいか?
考えることかな。
あとは、どうして自分の苦労をわかってあげられなくなったのか?
それを考えること。
他人の苦労はわからない。
想像できても完全に理解することはできない。
自分の苦労も完全に他人にわかってもらうことはできない。
誰かが誰かに、「そんなのは苦労と言えない!!」と言うことはできない。
だから、唯一、私が私自身にこのように言うことは許されてもいいんじゃないか。
とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであった!
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