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私へ

昨日インサイド・ヘッド2を見て、私の感情は私を守るため、私を幸せにするためにあるんだ、とわかりました。

心配も、怒りも、恥ずかしさも、ぜんぶ自分のためにあるのだとしたら?

今日、そんなふうに考えて過ごしたら、いつもより気持ちが楽でした。
自分を責めることが少し減りました。

いつもは、こんな感じ。


心配したら、「私って心配しすぎだ。そんなに心配しなくていいのに、なんでだろ。他の人はそんなに心配してない。(私がおかしいんだ)

恥ずかしい気持ちが湧いたら、「ああ、恥ずかしい。なんでこういう時うまく立ち回れないんだろう?他の人はできるのに。(私はできない。だめなやつだ)

ムカッとしたら、「なんで私こんなに怒ってるの?大したことじゃないよ。

怒りに関しては、自分のなかにこういうエネルギーのある感情がわくことを怖く思うし、どうしたらいいんだろうとも思う。
きっと、怒りを今までなかったことにしていたから、扱い方がわからないんだ。


私はいつも、他人を基準にして自分を判断している。
あの人はできるのに、なんで私はできないんだろう?

あの人」には、職場の人、友達、好きなアーティスト、Youtuber…ありとあらゆる人が含まれる。
頭の中でその場面が再生される。

あの人」は、私が「いいな」と思う人たちのいいところをすべてかき集めて作った、理想の自分。
理想というか、「今の私はこうでなければならない」「今の私はこうであるはず」という姿。
今の私からはかけ離れているはずなのに、目指すものではなくて、不思議と「今」の私とリンクさせている。

そんな幻の自分と比較して責めてるんだから、冷静に考えたらどんなにおかしなことか。
「私」は、今ここに存在している「私」のほかに何者でもないはずなのに、頭で作り上げている「私」は誰なんだろう?

そんなこと大したことないよ」って言ってるけど、誰が何の権利で大したことないって言ってるの?
そんなの、私が感じてるんだから、誰も言う権利は無いはずだ。

いま、あるがままの自分に気づけばいい。
幻の自分と比べて責めちゃう自分、それが今の自分の現在地だ。

理想の自分を作り上げてしまったことにも、何か自分なりの理由があるんだろう。

がんばって生きてきた私に、私の中の感情たにちに。
辛くあたってごめんね
でも、仕方なかったんだ。許してね。
と言いたい。

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