卒業した今。-30-
昨日、無事4年間在籍した大学を卒業しました。
大学の卒業はどんな気持ちになるんだろうと思っていたけど
最後の年は大学に足を運ぶこともなく、特に何かに対する思い入れはないと思っていました。
でもこのページを開いて今言葉を綴っているということは何かしらの気持ちが湧き上がっているということです。
小学校、中学校、高校、これまでの卒業とは明らかに異なった気持ち。
まず
学生を終える寂しさ。
これまでは卒業とはいえ、次のステップも同じ教育機関で教わる機会をいただいていました。でも、もう違います。学生を終えたのです。これまでの人生の多くを教わるに費やしてきた時間が、今度は学びに費やし社会のために自分は何ができるのかを考えていく、そして行動に移していく必要があるのです。もう、わからなくても待っていては教えてくれない、自分から主体的に行動する力が必要です。その面で学生という効力は大きすぎるものでした。大学はその準備期間をくれました。
親の偉大さ。
これまでどんなときでも共に過ごしてきた親。幼いときは怒られたら謝っていたけど、いつからか親の考えをなかなか受け入れることができず言い合いになることもありました。当たり前の存在だったからこそ気づかなかったこと。学生を終えた今だからわかること。社会にでるために知らなくてはならないことを長い時間をかけて教えてくれたのは親でした。大学にも通わせてくれた親の存在はとても大きく、少なからず自分の価値観を形成付けるものでした。
これからの不安。
これに関しては、誰も口にすることはなかったのですが環境が変わるこれからの不安。
考えさせられる頭の中のモヤモヤの一つには絶対にある不安。
不安があるのはあたりまえ。いかに考え方を変えていけるか。その力もこれまで培ってきたことのなかに絶対ある。そう信じています。
友人の概念。
片道2時間かけて通うことになった大学。これまでのような友人はできるか、正直なところ友人ができるかは諦めていました。それよりも自分の学びたいことを優先して好きな授業を好きなだけ履修しよう、そう覚悟していました。でも4年たった今、たわいもない会話で笑い合い、深い話で共感し合い、互いを尊重し合うことのできる友人ができました。友人がいる中でのキャンパスライフは想像を遥かに超える充実した時間でした。
人の思う友人は一つではなく、これまでの人生で友人の在り方は自分の中で大きく変化してきました。
それでも一つ言えることとすれば
自分にとっての友人はいくつあっても
いいということ。
いろいろな人がいるから人は成長できる。
学生で学ぶことは机上で得たことだけでは
ないということ。
さまざまなコミュニティに属して初めて気づく
「自分」
学生という時間がどれだけ貴重な
ものであったのか、学べるという環境が
いかに幸せであるかを実感しているところです。
卒業への感謝の気持ちはまた別でnoteに綴りたいと思います。
卒業する学生のみんなへ。
卒業おめでとう。
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