いのほた#127関連 日本の国語教育で教えていること〜「井上ひさしの作文教室」より

「いのほた」200回記念振り返りその3小ネタ集内の#127の井上先生の文章を紹介しているうちに思い出したことを書き下ろそう(いったい何様のつもり🤪)

 ほんと文章を書くのには苦労する。学校の授業で教わったつもりでいたが、大人になって書く必要に迫られたときに、実質なーんも教わってないことに気づいた。学校の国語の授業はどうあるべきか?井上ひさしさんの本にうまく書いてあったのを思い出しひっぱり出すことにした。以下、抜粋、引用したい。

僕らの時代もそうですが、小学校でも中学校でも、綴り方の作文の時間は、生徒の頭の中に起こったことを書かせるわけです。「昨日の遠足の感想を書きなさい」とか…けれど、子どもが書くことといったら、「昨日遠足に行きました。たいへん楽しかった。夕方帰りました」これしかパターンがないんです。…プロの物書きにしてもそうです。出かけた。楽しかった。…それしか書けないんです。つまり、プロでも書けないことを、小学生、中学生に要求している国語教育が根本的にまちがいなのです。丸谷才一さんの言葉を借りますと、日本の国語教育は、全生徒をすべて小説家か詩人にするつもりでいると、これが日本の国語教育の根本的な欠陥です。…そうじゃなくて、あなたはそれをどう見てますか、という観察文とか、報告文とかを書かせなければならない。…それから特に読書感想文が問題ですね。…わたしは今日、お餅のご馳走をいただきましたが、箸をつける前に、餅を食べたあと、餅についての感想を、って言われたら、絶対に食べないです。でも、どういう餅が出ましたか、っていうのは書けますよ、すぐ。

「井上ひさしの作文教室」p164〜

 たしかにたしかに。しかし、どうしてこんなことになったのか?後日、改めて書きたいと思うが、簡単に言えば、書くことと読むことは全く違う行為であるということだ。国語の先生に書く能力を求めるのはある意味酷である。正確にいえば、書く能力については、他の教科の先生、いや一般人と比べて優位ということではない、ということだ。…

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