12月22日の週(〜28日)のコメント大賞

 先週は私事に紛れてコメント大賞をお休みさせていただいた。今週もバタバタと…などと言ってるとまた休むか、となりかねない。まずはタブレットを取り出して書き始めることにしよう。ちなみに、本日のコメント返しでプレッシャー返しがあったが、すでに書き始めていたので涼しい顔でいられる。
 今週も#1302「コメント返し」から始まり、#1303「言語化、タブーについて」、#1304「クリスマスにちなんでYule!」、#1305は「英語綴り字とフランス語」、#「英語語源辞典の語源学解説」、#1307は「佐久平の振り返りwithみーさん」、#1308は「小河さんダイジェスト」とまー今週も面白い満載の週となった。
 が、いつものことではあるのだが、格調高いコメントを前にすると身がすくんでしまう英語初級者。だからといって、どうでもいいようなところをダジャレで突っ込む色物コメントではなあ…と頭を抱えているところに、スマホからvoicyの着信音。開いてみると#1303「言語化、タブーについて」におけるumisioのコメントにKoさんから「いいね」、さらに「返信コメント」が届いていた。「どれどれ?」覗いてみると…例によってストライクギリギリを狙ったボール、というか隠し球のようなものが…。うまく打ち返せればホームランになるか?

自分の職場では知識や技術は言葉で教えてもらうものではありませんでした^^;みて覚えろ!みて盗め!さえ言ってくれませんでした。20年以上続けているお陰で何とか自分も『言語化』出来ているように思います(勘違いかも...)もうその諸先輩方は引退さて自分が後輩に教える立場になっています。が!言葉の限界を感じる今日この頃です...」

Koさんコメント

 おっと、返信先となるumisioコメントも載せておかないと理解できないだろう。4つほどコメントしてたが、Koさんが意識されたのはおそらくこの2つだろう。

「私の周囲の環境は、言語化できない、しないほうがいいというのが常識、ホントに賢い生き方だ、という雰囲気なのでだいぶ受け取り方が違ってきますね。」
「田舎にいると人との関係の過密さが嫌に感じ、都会に出ると人との関係の疎遠さが問題だと感じる、という構造と似ているような気がします。」

umisioのコメント

 Koさんのコメントの核心を推測するなら、「先輩たちは言葉で教えてくれなかったので困った。だから、自分はきちんと言葉にして後輩に伝えよう!と思っているが、なかなかこれが難しいのよ。」という感じか?つまり、「言語化しようとすることは大事なこと。諦めずに言語化しよう!だけど、そうは言ってもなかなか難しい。」と言うことだろう。であるならば、umisioと基本路線は一緒だ。これは「職人と言語化」というテーマで書けそう!
 それでは!と本編画面に戻ってみると、まだ目を通してなかったコメントが目に入る。おっ、そこにもKoさんのコメントがあるではないか?しかも、これまたするどい!

「先生の危惧している様にもし、行き過ぎた『言語化』思想が広がった場合、そのアンチテーゼが必ず出てくるのも『言語』だと思います。現に堀田先生がいらっしゃいますし🤗」
これに対して、umisioが「この問題の本質を捉えている気がします。そこには、需要と供給のバランスのような見えざる手が働いているような。安心してください✋😎履いてますから🩳ではなく、働いてますから、みたいなꉂ🤣𐤔」と返信。
さらにこれに対してKoさんが「この様なせめぎ合いが言語変化をもたらす一因になると考えると言語のダイナミズムを感じ、勝手に愉悦に浸っております^^」との返信。

Kosさん & umisioのコメント

 これだけ材料があれば何かできそうだ。まるで、主婦(主夫)が冷蔵庫の中を覗きながら、「あっ、これだけあるならなんかできるわ。ちょっと待っててね。」みたいな😛
 さらにコメント欄を下がっていくと外来風味の食材を発見。ykagataさんのコメントだ。ykagataさんコメントは、普通のスーパーでは見かけない商品が並べられているのが特徴だ。今回のもどこでも買えないようなネタ!(鮮度は決して高くないが😛)これを使えばジャーマン風の料理もできるかも?気持ちが高ぶる。そのykagataさんのコメントがこれ。これを使った料理のお品書きは「分からない」となりそうだ。

「昔ラジオで、複数のミュージシャンに「いちばんロックだと思う楽曲」を教えてもらうという企画がありました。多くの人が「その楽曲がロックであろう理由」をとうとうと語る中、甲本ヒロトだけは曲名を挙げたあと「理由は、わかりません!」の一言で話を切り上げたのでした。四半世紀くらい前の話です。「「好き」「やばい」など汎用的な言葉では物足りない、自分の心の内を言葉にして伝えたい」というニュース記事のくだりを読んで、唐突に思い出しました。伝わらない言葉のほうが、かえって記憶に残るということもあるみたいです。」
これに対してumisioが次のようにコメント。「これもまたするどい!「言語化」問題は、「分かりません」と言えるかどうかがその是非を分かつのでしょうね。ところで、私はこの「分かりません」が言えるがどうかでプロフェッショナル(専門家)を判断しているところがあります。もちろん堀田先生は首席で卒業なさってます😊」

ykagataさん&umisioのコメント

 おっと、肝心の配信回の内容をお伝えしなければて…下にリンクを貼っておくが、忙しいリスナーのために乱暴に要約すると…「「言語化」は正しくはあるのだが、「流行語」になると一人歩きしがち。世の中には言語化できないこと、してはいけないこともある。なんでもかんでも言語化することが大事だと単純化されるのが心配だ。」と私は解釈した。

 で、そうした先生の「言語化」に対する危惧を頭に置いて、Koさん、ykagataさん。umisio3人のコメントを混ぜこぜにして「言語化」したものにコメント大賞を授与することにする。時間的にも能力的にも体系化するのは難しいので、オムニバス形式でお届けしたい。

◯言語化に内在する自動調節機能
 umisioコメント「田舎にいると人との関係の過密さが嫌に感じ、都会に出ると人との関係の疎遠さが問題だと感じるという構造と似ている」
 →つまり、地方においては、言語化しない風潮が強いので、「もう少し言語化しようよ!」とアクセルがかかるが、それが行き過ぎる社会になると、「何でも言語化したらいいってもんじゃない」とブレーキがかかる。需要と供給のバランスみたいな調整機能が内在されているので、「堀田先生、安心してください!いいところに落ち着きます!」というおはなし。
◯みんなちがって、みんないい!金子みすゞ的調整機能
 Koさんコメント「先生の危惧している様にもし、行き過ぎた『言語化』思想が広がった場合、そのアンチテーゼが必ず出てくるのも『言語』だと思います。現に堀田先生がいらっしゃいますし🤗」
 →世の中には、突っ走る激情家タイプと、冷静にアンチを保つ堀田先生のようなタイプがいる。よって「言語化」が激情家タイプによって一人歩きしようものなら、冷静アンチタイプが出てきて押し戻すものだ。つまり、堀田先生が「言語化」について心配することは予定されていることでありミッションでもある。そのまま心配し続けてください!というおはなし。
◯分からない!となるまで突っ走れる安全装置的機能
 Koさんコメント「自分の職場では知識や技術は言葉で教えてもらうものではありませんでした^^;みて覚えろ!みて盗め!さえ言ってくれませんでした。20年以上続けているお陰で何とか自分も『言語化』出来ているように思います(勘違いかも...)もうその諸先輩方は引退さて自分が後輩に教える立場になっています。が!言葉の限界を感じる今日この頃です...」
 →つまり、言語化はやれるところまで頑張ればいい、どうせ、行く所まで言ったらそれ以上進め仕組みになっているのだから。ということだろう。
 で、ここで鍋に入れるのがykagataさんのコメントだ。
 「昔ラジオで、複数のミュージシャンに「いちばんロックだと思う楽曲」を教えてもらうという企画がありました。多くの人が「その楽曲がロックであろう理由」をとうとうと語る中、甲本ヒロトだけは曲名を挙げたあと「理由は、わかりません!」の一言で話を切り上げたのでした。四半世紀くらい前の話です。「「好き」「やばい」など汎用的な言葉では物足りない、自分の心の内を言葉にして伝えたい」というニュース記事のくだりを読んで、唐突に思い出しました。伝わらない言葉のほうが、かえって記憶に残るということもあるみたいです。」
 そしてここにumisioコメントを追加、
 「「言語化」問題は、「分かりません」と言えるかどうかがその是非を分かつのでしょうね。ところで、私はこの「分かりません」が言えるがどうかでプロフェッショナル(専門家)を判断しているところがあります。もちろん堀田先生は首席で卒業なさってます😊」
 以上のKoさん、ykagataさん、umisioのコメントを混ぜ合わせると次のようになる。
→言葉で伝えようとする、即ち「言語化」しようとする姿勢は大事である。それは、ロックミュージシャンがロックを極めようとするのと同じようなもの。しかし、極めた先には言語化できない領域が待っている。大事なのは、その領域に達したときに「言語化」を手放すことである。つまり、「分かりませーん」と言うこと。これがなかなか難しい。というわけで、甲本ヒロト、堀田隆一万歳🙌

 つづいて、お二人のコメントに触発されてできた「言語化」関連小話をご紹介したい。
小話その1「職人は「言語化」がお好き❤️」 
 以前、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を観ていたときの話だ。登場したのは東京のうなぎ屋の主人。天然モノが入手できなくなったので廃業するかどうか悩んだが、職人の本分はそこではない、と思い直し店を続ける、という箇所でその人の職人気質を強く感じたことを記憶している。しかし、それ以上に記憶に残っているのが、新入りにうなぎの串入れを教えるシーンだ。実に、実にわかりやすく、懇切丁寧に教えている。
 これまで職人というと、何も教えない、教えても実に乱暴な教え方、しかも叱りつけながら、というイメージが強かったがその人は全く違った。そして、これを観て、「たしかにそうだ!」と思い出した。過去に会った魅力的な職人のほとんどがお喋りだったことを。
 自治体勤務のころ、仕事の関係で中小企業の社長さんと話をする機会が多かった。特に、ものづくり(製造業)の分野が多かったのだが、魅力的な商品を作っている中小企業の社長さんって、自分の商品についてとにかくよく喋るのだ。ほぼ全員。今、私の身の回りを見渡しても、魅力的な商品を作っている職人って決して無口ではない。いや、正確に言うと、普段無口であっても職人の仕事となると一変する。証拠は堀田先生だ。「もともとそんなに喋る方ではないんですよ。」ってよく仰っている。ところが、英語史の話になると…
 ちなみに、私もそういう路線だ。「営業はどうしてますか?」と聞かれたら、「私の塩の話を聴いてくれなきゃ売りません。」などと冗談めかして答えているが、結構本気だ。職人には伝えたいことがある。決して無口ではいられない何かが。

 それ対して、「型から入れ」と「型」を押し出す人がいる。(「基礎(学力)が大事」もそれに近い。)つまり、最初のうちは、分からなくても、何度も読む、何度も書くのが学びである、といった調子だ。歌舞伎や能といった伝統芸能を引き合いに出したりもするが、それは違うのではないか?少なくとも、職人の口から出るセリフではないと思っている。
 「言語化」できる所までは徹底的に「言語化」しようとする。だからこそ限界にも突き当たり、そこで「言語化」を手放したとき、そこに「型」が見えてくる。そんなものではないか?少なくとも、最初から「型」があるものではないだろう。そして、その「言語化」しようとするもがきがその人を成長させるのではないか?最初から「型」に頼っていては成長は難しいのではないだろうか?
 しかも、「型」を押し出すにしても、「型から入れ。」という自信満々の態度ではなく、泣き泣き、申し訳なさげに出すものではないか?「これ以上私には言語化できない。もしかするとこれが型というものかもしれない。説明できないからまずはこの型を身につけて欲しい。」みたいな感じではないか。職人たちを見ているとそんな気がする。
 ともかく、結論は、その境地に行くためにも、「分かりません」と言うためにも、まずは「言語化」からはじめよう!っていう結びでどうだろうか?

小話その2「コアリスナーって言語化したいので集まってる説」
 先ほどあげた私のコメント一つ「私の周囲の環境は、言語化できない、しないほうがいいというのが常識…」に関連して言うと、自分が考えていることを言語化できる場所というのはそうそうない。少なくとも私はそうだ。ここに集うコアリスナーも同じではないか?過去の皆さんのコメントからそれが察せられる。つまり、helmateは「言語化」したい人であり、Hellvilianは、helmateが自由に「言語化」することを許される唯一の場所である、なーんて説が成り立つのではないか?

 以上、いつものようにジャイアンリサイタルさながらの展開となってしまい申し訳ない。それでは授賞式に入りたい。まずもって、Koさんykagataさん!貴重なコメントに感謝とお礼を申し上げる。こちらで勝手に加工して、意に沿わない形になったとしたら申し訳ない。できれば「言語化」を通じていろんな議論ができたと思ってお許しいただきたい。
 それでは発表だ。ドルルルル🥁ジャン。Koさんykagataさんumisioさんに「3人合わせて文殊の知恵になったで賞」を授与したい。おめでとうございます㊗️これに懲りずに、いや、これを機に、「らしい」コメントをドシドシお願いしたい。

(付録)「言語化」と離れるので、本編には書かなかったが、今回、気づいたことを二つばかり記しておきたい。
 一つ。「型」を押し付けることが、押し付ける側にもたらす弊害だ。「型」を押し付けるのはそれが教える側にとって楽だからという側面もあるようだ。しかし、そうなると教える側が学ばなくなる、これは致命的ではないか?
 もう一つは、職人が「言語化」にこだわるのは、あるいは多弁になるのは、きっとその道が好きだからだ。好きなことは喋りたいし、その面白さを伝えたいし、間違っても「型」とか「基礎学力」とかという形で無理強いしたくない。そんな思いがきっとある。













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