helwaコンテンツfor「英語史ライヴ2024」出品作品②当たり前のスゴサとB&C精読会
今から四半世紀前、この離島に移り住んだ。島の売りといえば安くて新鮮な魚。早朝、漁港に行けば水揚げされた魚を売ってくれる。小アジなら1キロ100円程度。1キロあれば刺身、焼き魚、南蛮漬けなど家族5人の2日分の夕食は賄える。いただきものをすることも多い。いずれにしても魚は未調理。今ではフツーに捌けるが当時は全くダメ。よって、「誰か教えて!」となったのだが、「そんなの簡単」「やればできるよ」と地元の人は全くツレない(魚だけに)。たしか、かまぼこのときもそうだった。
控え目なの?それとも、面倒くさいの?ずっと解けなかった謎が最近になってわかった気がする。人というものは、徹底的に努力をして、普段どおりの感覚でできるスキルになったら、「誰でもできる」「たいしたことではない」となりがちなのかも。先ほどの例で言えば、マグロを捌けるほどの腕になると、「たいしたことない」「人様に教えるほどのものじゃない!」となるのだろう。結果、確実にある需要に対して供給がなされないという需給のミスマッチが生じる。
昨年7月にはじまった「英語史の古典的名著B &Cを読む」が好調だ。とりわけ、ゲストを迎えた配信回が人気を集めている。これまでのゲストは、小河さん、Takuさんに和田忍先生。事前の準備も台本もないので、研究者同士ならではの普段のやり取りを聴くことができる。というわけでリスナーからは高評価なのだが、「普段どおりやってるだけ」「こっちの方が楽しませてもらっている。」と講師陣は戸惑い気味だ。「あり合わせのもので申し訳ない。」そんな風にも聞こえる。
大切なお客様には普段のものではなく、特別にあしらったものを味わっていただきたい、そんなおもてなしの心なのかもしれない。しかし、その普段レベルのスゴサ、そうなれるまでに費やした膨大な時間と労力を考えるとどうだろう?当たり前のように見えて、長年にわたって培われたスキルがあればこその普段料理。恐らく、私たちはその普段どおりから染み出た味をおいしくいただいているのだろう。
2024年8月20日