話し言葉のほうを優先!でいい?
#743. 「書き言葉よりも話し言葉を優先すべし」 --- 現代言語学の大前提 - 堀田隆一(英語史研究者) #heldio
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#Voicy
(hellogより要約引用)
言語学の研究対象は第一に話し言葉 (speech) であり,書き言葉 (writing) の関心は二次的である.この優先づけは,以下の通り,話し言葉のほうがより根源的で本質的であることに基づく.
・ ヒトの言語は,話し言葉として発生した.書き言葉の歴史は非常に浅い.
・ 個体発生を考えても,幼児はまず話し言葉を習得する.習得に関して,話し言葉は常に書き言葉に先立つ.
・ 話し言葉の能力は先天的だが,書き言葉は常に後天的に学習される.
・ 過去にも現在にも文字をもたない言語のほうが文字をもつ言語よりも多い.
Martinet は現代社会における書き言葉の重要性を指摘した直後次のように述べている.
このことゆえに,人間の言語の記号は優先的に音に関するものであること,何千年ものあいだ言語の記号はもっぱら音であったこと,今日でも人類の大半は読めなくとも話せることを忘れることがあってはならない.人は読むことを覚えるまえに話すことを覚える.読むことが話すことを追い越すようになるのであって,決してその逆ではない.書き言葉の研究は,実際上は言語学の付属分野の1つではあるが,独立した1分野を表わしている.したがって,言語学者は原則として書記法の事実を捨象する.書記法の事実は,全体として限られた範囲において,それが発音される記号の形態に影響を及ぼす範囲においてのみ考慮の対象となる.
一般言語学の観点からは,上記の話し言葉優位の原則に異存はない.しかし,英語史の観点からは,よく斟酌した上でこの原則を理解する必要がある.英語史など歴史言語学の分野では,むしろ最後の「書記法の事実は,全体として限られた範囲において,それが発音される記号の形態に影響を及ぼす範囲においてのみ考慮の対象となる」の部分が重要である.残された文字を通じてしか往時の言語を復元できない歴史言語学においては,音声重視とだけ言っていられない現実があり,文字と音声の関係の考察がとりわけ重要となる.実際に,近年の中英語研究では,発音と綴字の関係の詳細な洗い直しが始まっている.文字について一家言もっている日本人の出番では,と密かに思っているが,どうだろうl
という問題提起で今回は終わった。が、本日のプレミアム放送で胸の内をあかしていただけるそうだ。で、それを聴く前に少し先回りしてみよう。
話し言葉優位、と聞いてパッと浮かんだのが「契約の法的効果」。heldio氏も話していたように、契約は書面のほうが信頼性が高い。しかし、法的にはあくまで表明、合意した時点で契約は成立したことになる(正確な表現ではないが)。つまり、契約書はなくても成立する、こうしたあくまで原理原則にこだわる法律の姿勢が今回の「話し言葉優位」の姿勢に重なって見えた。
もう一つ浮かんだのが、文字の発達が早かった西欧や中国などの歴史と遅かった遊牧民の歴史についてである。文字がない文化圏の歴史は掴みづらいが、だからといってなかったわけでもないし、遅れていたとは言いきれない、といったことも頭に浮かんだ。
そんな事例からいくと、「話し言葉を優先すべし」は「たしかにごもっとも」と言えそうなのだが、heldio子は「これに反旗をひるがえす」という。heldio子が言うのだから何かあるはず。少なくとも、「文字がないと研究ができない」といった類じゃないはず。となると…??思いつかない。今晩の放送を待とう。