英語史周辺にはなぜ英語嫌いが集まるのか?
(1)好きになるまで時間かかりすぎ!
先日行われたゼミ合宿の様子を伝える第2弾。今回はkhelf副会長のKさんがゼミ生に「なぜ堀田ゼミを選んだのか?」訊いていくのだが、途中から「英語が好きだったか嫌いだったか」という話題に転じて、実に興味深い配信回となった。
そういう英語が嫌いだったゼミ生も大学では英文科を選んだわけだから、どこかの時点で英語が好きになったり、あるいは好きではないが気になる存在になったり、好きではないがなぜか引き寄せられたりと、英語の学習意欲が高い状態になったのは間違いない。
実は、このheldioを聴いていて思うのだが、英語史周辺に生息する人々にはそんなタイプが多いような気がする。即ち、出会ってすぐに英語に興味が湧いたわけではない、むしろ嫌いだったのだが何かの拍子で英語が俄然好きになる、というタイプだ。実は「英語史お化け」の異名をもつheldio子でさえ「最初は好きでも嫌いでもなかった」と英語にそっけない。他の教科と横並びだったようである。(「英語史の輪#21」チャプター2で激白)実は、英語史新聞の「英語史ラウンジ」に登場した菊地、矢冨両先生についてもその記事を穴が空くほど読めば、似たりよったりのところがある。
しかし、よく分からない。好きになるまでの時間がかかりすぎる。他の教科であればすぐにはっきりする。数学が好きだっていう子は小学校の頃から算数が好きだし、歴史や理科が好きな子も小学校のときからそうだった。音楽や美術にいたってはなにをか言わんや。英語のように「最初は嫌いだったが後から好きになっていた。」な〜んて教科はない。(あるとすれば、何か衝撃的な出来事、例えばいい先生との出会いなど外部要因が働いている場合だ。)
なぜ英語の好きだけタイムラグが生じるのか?考えられる理由は一つ。英語の面白さを何かが隠していて生徒に伝わりにくく、何かのきっかけがあってその面白さに気づく、そんなシステムになっていないか?そして、ほとんどの生徒はそれに気づかずに嫌いなまま、気づいた生徒はそれから好きになる、つまりタイムラグの発生だ。
(2)タイムラグの正体は?〜一番の暗記科目は英語である!?〜
一つ質問したい。暗記科目と聞いて何を思い浮かべるか?もっとも多い回答が歴史(社会)だろう。「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と年号を暗記したり、○○寺を作ったのは誰?○○物語を書いたのは誰?とか数多く暗記させられた。そういう意味では歴史はたしかに暗記科目だろう。しかし、それでも授業や教科書では、なぜその年(時期)にそんな事件が起こったのか?物語の背景には何があるのか?一通りは説明を受けているので暗記科目とばかりはいえまい。(最近では暗記の類は減ったとか。暗記科目というイメージも薄い?)
「いや数学のほうが暗記科目だ。」という人もいだろう。そういう人は、きっと公式を暗記して練習問題を解く、を授業で繰り返していたのだろう。本来、数学の意義、面白さはそんなところにはない。公式にたどり着くまでのプロセス(証明)その他にあると思う。ともかく、公式を暗記するのがメインだったら数学は歴史以上に暗記科目である。(注2)
実は、学校英語はそんな数学の授業と同じだ。いや、それ以上だ。えっ、なんで?と思うだろう。以前の私でもきっと?となるだろう。しかし、よく考えるとそうなる。二次方程式の解の公式はみなさんご記憶だろう。X=-b±√b2-4ac➗2ac(きちんとした表示が出せずに残念😭)である。仮に、この公式が導き出されるプロセスも教わらず、これを使って延々に問題を解かされたらどうだろう?
今の学校英語はそれとおんなじだ。例えば、三単現のs。「主語が三人称単数のときには動詞の語尾にsをつける。」教えられるのはそれだけだ。どうして三人称単数はそうなるのか?その背景については全く知らされない。数学の場合は、例え教師が暗記重視主義だったとしても、教科書を開けばプロセス(証明)が書いてある。ところが英語は…。(注)
仮に、暗記一辺倒の英語でも、海外留学とか、偏差値の高い大学合格といった目的があれば我慢して勉強もしよう。しかし、学究肌の生徒はそんな我慢は苦手。一定の距離を持つことになろう。そうこうするうち、何かの拍子で英語(英文法)の魅力に気づき、英語の道に進もうという生徒が現れる。
(注)「言語の本質」がヒットを続ける今井むつみ先生の旧著「英語独習法」には先生の中学校時代の英語の授業が紹介されている。(p34)「どうしてもaとtheの意味がわからず、先生にしつこく聞いたら先生が怒り出してしまい『こんなのも分からないのか』と叱られてしまった苦い経験がある。」(以上、引用)
(3)暗記科目ではない英語学習とは?
英文法をきちんと教えているではないか。という反論もあるかもしれない。たしかに英文法の「公式」は教えられている。しかし、それは「公式」集に過ぎない。数学における公式までのプロセス(証明)に匹敵するものがない。それは何か?「証明」がある。それは、英文法の規則性、法則性を読み解くための視点である。共時的には言語の比較であり、通時的には英語の歴史である。日本語文法と英文法を比較して初めて英文法の中身が理解できる。(国語を理解するための外国語学習の狙いの一つ。)さらに、英語史を取り入れることで英文法が理解する。この両者があって初めて学校英語は他教科と同じ一人前の教科となる。
「そんな時間など取れない」という人がきっとでてくるだろう。現状を大前提にものを考える人はそうなる。しかし、英語の実用を目的とするが故に、これまで大量の屍の山を築いているのに、まだ同じように突撃を命じるだろうか?それよりも英語嫌いの多くの生徒に英語を楽しく学んでもらうことを考えるべきではないか?
もっとも、現時点ででもやれることはたくさんある。三単現については屈折語という言葉の存在に触れるだけなら5分ですむ。5分が長ければ、英語史の本やsnsを紹介するだけでもいい。とにかく、せっかく義務教育で学ぶのだ。英語の魅力を十分伝えるべきだ。
(3)なぜ英語史周辺には英語嫌いが集まるのか?
なぜ英語史周辺には元英語嫌いが集まるのか?英語愛にタイムラグが生じているのか?ここまで読んできたら想像がつくだろう。つまり、最終的に英語史を選択するような学究タイプは、このような暗記科目に一目惚れすることはない。しばらく付き合ううちに何かの拍子で英語(英文法)の魅力に気づき(恩師との出会い等)、英語にハマり、気づいたら英語史ゼミにいた、こんな感じではないか?
いや、英語史周辺には最初から英語が好きってタイプもいる、まさにゃんがそうだとの反論があろう。たしかに、彼は「英語がずっと好きだった」が口癖だ。しかし、彼の英語の経歴こそがこのタイムラグ論を補強してくれる。まさにゃんは幼稚園のころから英会話教室に通っていたが、小5のときに嫌気がさして英語から遠のき、中学校で英語に出会いまた好きになる。その理由として英文法との出会いを彼はあげる。彼の場合は、他の人々より早くから英語と親しんでいたことで、英文法の魅力に気づく土壌ができていた。だから暗記一辺倒の学校英語の中にすぐに英文法の存在を見出し、魅力をかぎとることができた、と考えれば辻褄があう。なお、まさにゃんの英語との出会い話は次のコンテンツ(chap3 02:00あたり)
ちなみに、「英語が嫌い」という人は他教科にない共通点がある。他教科の場合は、先ほどのように「暗記が嫌だ」、とか「数字が苦手」だとかその理由もセットである。自分なりに嫌いな理由を把握している。ところが「英語が嫌い」という人は、その理由を明示しないことが多い、というかできないのかも。このheldioでも「英語は嫌いだった」という話は出るが、「○○が嫌だった」という理由を耳にしたことがない。それは国際化という華やかさが眩し過ぎて暗記科目という実体を見えにくくしているからでは?言い換えると、根っこに外国語コンプレックスがあるからともいえよう。「暗記科目だから嫌いになるのは当然」と気づくことができれば多くの日本人の心はだいぶ軽くなるだろうに…。
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