Lv.22のわたし
「親友が欲しい」と言えば、
「親友をモノ扱いするな」と言われる。
「お菓子が欲しい」と言えば、
それなりに良い言葉を返されるだろう。
同じ言葉なのに、『欲しい』という意味だけでも大きく変わる。Aをすれば批判され、Bをしても批判される世界。何をしても批判反論が飛び交うのだ。
いつからこんな世界になったのだろう。
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縄文時代の先人と言葉は交わせなくとも、決起集会を開きたい。翻訳機などあれば尚よし。
狩りをして、収穫物を分け合い、寒さを凌ぐために焚き火をしたり、そんな人生も悪くない。
都会に慣れ親しみ、何年もぬか床につけられたような都会っ子。ポートシティガールほどではない。
丁寧に水洗いをしても、そう簡単に県外には馴染めない。多くは語らないが、この時代が作ってしまったモノだと感じる。
コンビニの良さを知ってしまったら田舎には住めないが、田舎には田舎の良さがある。集団での遠征などもはや地獄。決起集会は無かったことにする。
なので、縄文人の派遣は不要である。
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中傷とは異なるが、言葉一つで人生は変わる。いい意味でも、悪い意味でも。SNSが主流のイマは、一般人の言葉でも簡単に拡散でき、させられる時代である。
私は誰かの一言によって、
少々悪い意味で人生が変わってしまった。
前世の私はどんな悪行をしたのだろう。
それとも、子供の頃の悪事なのか。
何気ない言葉が秒速にして何百kmの速度で胸に刺さり、今でも傷が癒えない。その人に似た顔を見たり声を聴くと敏感になる時があるくらい。
根に持つタイプでなくても、残るものは残る。名を知らない芸人が餅をつく芸をしていたが、リズムと動きがクセになり脳内にこびりつくように離れない。それの同じような感覚。無意識のうちに。
もし、その人が世界からいなくなってもそれだけは残る。言葉の後遺症。
当の本人は何とも思っていないはず。無意識に発し、私を壊していった。
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- 因果応報 -
原因と結果、それに応じて報いが生じる。
かの有名な住職さんが自身の動画チャンネルで語っていた。仏教の世界では、前世での行いが来世に響くという。
今世で何かをすれば、今すぐにではないが後に自分に返ってくる。人助けなど善行をすれば良いことが、悪行をすれば悪いことが。
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人生を悪い方向へ変えた人に悪いことがたくさん起これば、とは全く思わない。しかし、それに応じた何かが起こるはず。因果応報を信じている。
来世も真っ当に生きたいので、
ここは貪欲に善行だけをしていきたい。
是非、皆さんも一緒に。