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ケベックのバンド・デシネ紹介⑤チェスター・ブラウン『PAYING FOR IT』

チェスター・ブラウンは1960年モントリオール生まれ。英語話者率の比較的高いモントリオール近郊のシャトゲで育ち、フランス語は話せないそう。ドーソン・カレッジの商業美術プログラムで学び、1983年コミックの自主制作を始めます。
1979年以降はトロント在住ということで、ケベックの作家として扱ってよいのかどうか疑問ですし、彼の作品を「バンド・デシネ」と呼ぶ人はいないと思いますが、便宜上バンド・デシネ紹介に含めさせてください。

『PAYING FOR IT』のサブタイトルは "a comic-strip memoir about being a john"。memoirは回顧録もしくは体験記、一般名詞のjohnは買春する男性を指します。

あらすじ

冒頭、作者は恋人Sook-Yinと同居していますが、Sook-Yinに新しい相手ができ、ふたりは破局します。Sook-Yinと同居を続けつつ、売春宿に通うようになった作者自身の体験を描いた作品です。

盟友であるセスとジョー・マット(ともに漫画家。しょっちゅう登場します)からは、「現実逃避」「ミッドライフ・クライシス」と揶揄されたり、時には本気で心配されたりもします。

売春の合法化/非犯罪化についてセスと議論する場面

チェスター・ブラウンといえば邦訳も出ている『ルイ・リエル』(カナダ政府に対するメティスの反乱を主導したとして処刑されたルイ・リエルの伝記作品)が有名ですが、『ルイ・リエル』が刊行されて忙しくなり、女性を買っているヒマもないという描写もあります。

私はカナダはもちろん日本の売買春の世界にも明るくありませんが、個々人の性が語られている作品にかねてから興味を持っているので、最初は野次馬的な好奇心でこの作品を読みはじめました。でも、作者が『PAYING FOR IT』で問題にしたいのは売買春の是非ではなく、排他的・独占的な性愛の暴力性であることが徐々に明らかになり、読み進めるほどに面白くなる作品です。
ロマンティック・ラブに懐疑的な作品、私は大好きです!!!

【以下結末についての記述があります】

作者はある時デニスという売春婦と出会って意気投合し、デニスだけを「買い続ける」ことに決めます。恋人関係になるわけじゃないのがポイント。その後デニスは昼職に就き、作者は性交渉のたびにデニスに報酬を払い続けます。

『PAYING FOR IT』の実写映画化

2024年末に映画『PAYING FOR IT』が本国カナダで公開になりました。

映画版の監督であるSook-Ying Leeは、冒頭で作者と破局する元恋人その人です。ふたりは破局した後もずっと仲良しなんだそうですが、それも、排他的・独占的な性愛に違和感を持っていたからこそでしょうか。