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自殺未遂ーーまもられていること

2019年四月初頭、平成という私が生まれた時代が終わり、令和という新しい時代が来ると世の中が沸いているその時に、私は、一度死んだ。
四年間患ったうつ病のなれの果てだった。

学生時代は勉強に励み、割と名の知れた大学に入学し、就活にも「成功」と呼べるような内定を貰ったあと、発病した。内定は断らざるを得なかった。何とか卒業したものの、私に残ったのは、絶望と、虚無感だった。
今まで頑張ったのはいったい何だったのだろう。
勉強をしていい大学に入って、いい会社でバリバリ働く。その為にやってきたことが、うつ病になって、すべて、消えた。

市販薬のOD(オーバードーズ)を繰り返しながら、派遣で働いたり、アルバイトをしたり、…すべて、途中で潰れた。病を背負って働き続けることはできなかった。バリキャリになりたかった。パンプスを鳴らして丸の内を歩く。そんな女になりたかった。社畜にさえ憧れた。

4月初頭、またしても仕事を失った私は、睡眠薬を齧って意識を飛ばしながら生活をしていた。意識があることさえ苦痛だった。
自殺する…そういう、強い意志はなかった。そんな意志さえ持てないほどに、疲れ切っていた。只、疲れたのだ。この世界のすべてに。
すべてから解放されたかった。生きることからも。

遺書なんかは書いていない。そんな気力はなかった。
その日は調子が比較的良かったのを覚えている。母と他愛もないメールをして、恋人に今日は調子が良いから読書でもしようかな、とLINEをして、

その夕方、私は自殺を図った。

それでも、死ぬということはそこまで意識してなかった。手持ちのクスリ、安定剤や睡眠薬など、200錠ほどを、淡々と、プチプチ、テーブルの上に出していった。そしてそれを、一気に手のひらに山盛りにして、何度かに分けて飲み込んだ。この時、レクサプロという抗うつ剤だけは飲まなかった。何故だかは、本当に、まったく、わからない。これを、少し頭の隅っこにでも置いてほしい。


バイバイ。大嫌いな世界。
サヨナラ、サヨナラ。

フローリングの上で意識を失い、恋人に揺さぶられてながら呼びかけられていたのが最初の記憶。指一本、動かせなかった。全身が完全に動かなかった。そしてまた意識を失った。

私は自殺未遂で精神科に入院することになった。死に損なったーーそう思った。全身の麻痺は数日で少しずつ回復したものの、右足だけには麻痺が残った。これを書いている今も、まだ、太ももには感覚がない。
医師は、
「あと一日発見が遅かったら死んでいた」
「よく呼吸が止まらなかった」
と、私が生きている奇跡を称えた。それでも私は、ああ、死に損なった…とぼんやり、まだ働かない頭で思っていた。
医師がどのクスリを飲んだのか聞いてきたときに、不意に、飲まなかったレクサプロの存在を思い出した。それを告げた瞬間、医師の顔色が変わった。そして、ゆっくり、

「それを飲んでいたら、確実に、死んでいました。」

そう言った。


病室に一人になってから私は、朧げに、どうしてレクサプロを飲まなかったのだろう、と考えた。答えは、いくら考えてもでなかった。
足が、痛い。痛覚が戻ってきた。あ、私は、生きている。そう思った。

生家が寺なので合掌をする機会はいくらでもあったのだけれど、その時、私は、生まれて初めて自然に、無意識に手と手を合わせ、深く、深く、頭を垂れた。涙が、ボロボロと落ちていた。
亡くなった父方の祖父母、母方の祖母、早世した友人、そして、見えないなにかに手を合わせた。あとでそれがお釈迦さまだということを私は知るのだけども…。

まもられた。私は、まもられたのだ。

「死に時は今じゃない」

私は、ボロボロと涙をこぼしながら、深く、息を吸った。





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