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アウフヘーベン
連日、報道されている、フジテレビを巡る問題。
元スーパーアイドルが女性とのトラブルを認めて引退したことは、きっと多くの人が驚いただろう。
けれども業界内にはびこる、女性をモノのように「上納」する風習については、まったく知らなかったという人が一体どれほどいただろうか。
私個人のささやかな経験でも、仕事の場において女性が「上納」や「提供」の対象にされているのをたくさん見聞きしてきた。
人権意識の極めて低かった昭和から平成のはじめ頃、それは得意先への「お中元」や「お歳暮」と同じレベルで常態化していた。
たとえば仕事を受注する際、上席者から、クライアントとの「打ち合わせ」に参加するよう指示される。「打ち合わせ」と称する食事会ではクライアントの隣に座らされ、笑顔でお酌し、気安く触られ、「お気に召したら、お持ち帰りください」。
本当に持ち帰られた女性がいるかどうかは知らないけれど、「こういう場に参加したくない」とはっきり意思表示をして仕事を失った女性なら何人も知っている。
男性にとって女性は長い間、真の意味での対等なビジネスパートナーではなかった。
女性の管理職がほとんどいなかった時代、職場の女性には「華を添える」「彩り」などの役目が与えられてきた。
男尊女卑の歴史があまりにも長く、理念だけで根底から意識改革することは難しかったのだろう。
テレビ局のみならず「男社会」と称される職域で、これらのハラスメント行為は特に顕著だったと思う。
先日の10時間を超える記者会見で、追及する側だった新聞・雑誌を含む他のメディアだって皆が皆、潔白だったとは思えない。
そもそも、世界中のほとんどの国で現在もなお「女性の性は(少数だけれど男性の性も)お金を払えば買うことができる」し、その事実を知らない人はいない。
店舗やネット上、場合によっては路上でも売っているものを、商品のように献上することは何ら不思議ではない。
原則として、その精神性を含む「女性そのもの」は、いくらお金を払っても買うことはできない。
ところが人身売買は悪だと理解はしていても、性の切り売りとなると途端に感覚が麻痺するようだ。
それでも、2017年の「#MeToo運動」以降、世界は少しずつ変わりはじめた。
「どうせ何も変わらない」と、厭世的にならざるを得なかった弱者たちに、それはささやかな希望をもたらした。
「もしかしたら、声を上げれば社会は変わるのかもしれない」と。
あるいは今、時代は大きな転換期を迎えているのかもしれない。
だから私たちは注意深く、どの企業が、どの有名人が、どの政治家が、混迷の時にどんな行動を示すのか、しっかりと見ておかなければならないだろう。
あらゆる事象が、新しい次元へ進む前には大きなカオスに飲み込まれるように、私たちは今まさに、再生の前夜を迎えているのだろうか。
「感謝」と「尊敬」と「愛」で構成された社会。
願い続ければ、そんなユートピアがやがては訪れるだろうか。
それともそれは、あまりにも子どもじみた陳腐な夢だろうか。
答えは、すぐそこの未来にある。
アウフヘーベンとは、ドイツの哲学者ヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。
「矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」と解され、古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、否定を発展の契機としてとらえる。
「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として、自然や社会・思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。
歪んだ世界とはさ
修復はもう無理なのか
綺麗な世界とはさ
創るのはもう無理なのか
君との未来があるけれど
僕たちの住む世界は
「歪んでいて綺麗なもの」でした
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