Fifty's map
「えーっと……ちょっと……落ち着いて聞いてほしいんだけど……」
と電話で、離れて暮らす子どもが言う。
「……骨折、していた、らしい……」
予想外の言葉に、私は一瞬、息を飲む。
「ぶつけちゃって。痛いなとは思ったけど、ずっと放置してて。今さらだけど検査したら、骨折してますね、て」
怪我をしたのは、夏のことらしい。
特段の治療もしないまま、もうすでに回復に向かっていること、安静時には痛みがないこと、などを聞いて私は、ひとまず安堵する。
一方で、子どもがこれほど言いにくそうにするのはなぜだろう、と気にかかった。
もしかすると、叱られる、とでも思ったのだろうか?
黙っていたことを? それとも怪我したことを?
とっくに成人しているのに。
いや幼い頃にだって、そんな理由で叱ったことなんてないのに。
……本当に?
思い返せば、どういう訳か私には、体調が優れないということは人に隠さなければならないことという認識があった。そうして一刻も早く平癒して、いつも通りの日常に戻ることが何よりも大切だと思い込んできた。
きっとそれは、母の病気がタブー視されて、家族の秘密であったことと無関係ではないだろう。
人は誰も皆、育った環境の影響を大きく受け、それを踏襲した人生を、そうとは知らずに繰り返す。
だから私の怪我や病気は隠すものという誤った刷り込みも、無意識で子育てに反映させてしまったのかもしれない。
私は子どもが幼かった頃、転んだり怪我をした時に、「怖かったね」「痛かったね」とまず、心に寄り添ってやることができなかった。それよりも、怪我をさせてしまったと自分を責め、罪悪感でいっぱいになって、一日も早く完治させることばかり考えていた。
そんな私の心の奥底にある気配を、子どもは、幼いながらも敏感に察知していたのかもしれない。そこまで考えて、胸の奥がきゅっと痛くなった。
電話の向こうの子どもに、何と言おうか考える。
「……大変だったね」
「痛かったでしょう……」
「我慢せずに痛み止めを使って」
「気をつけてても、怪我することも、あるよ」
あれこれと、精一杯の言葉をかけたけれど、私には今も、何が正解なのかわからない。
「あなたのことを大切に思っている」と伝えたいだけなのに。
幼い頃から私には「皆が知っていて、私だけが知らない」という場面がよくあった。
それは本来、家庭で教えられるべき常識だったり、たまたまの偶然だったり。あるいは、意図的に仲間外れにされた結果であることもあった。
ケースは違うけれど、いずれも気付いた瞬間に私は、何重にも傷付き、途方もない絶望感に苛まれた。
自分と同じ苦しみを、子どもたちにだけは味わわせたくない。
それは私の子育てにおける、悲壮なまでの信念だった。
目の前にいるのは、私の子どもであって、昔の私ではない。
そんなことは、よくわかっていた。それでもどうしても、子どもが傷付く姿を見たくなかったのだ。
それなのに子どもは、私が躓いたところで躓き、私が転んだところで転ぶ。
どんなに事前に注意を払っても、万全の準備をしていても、だ。
私は、自分が受けた傷を負わせまいと躍起になった結果、先回りして危険を取り除こうとする過干渉な母親になってしまっていたのだと思う。
以前見たドラマで
「私は、お母さんの二周目じゃない!」
という、高校生のセリフがあった。
それは、自分の叶わなかった夢を押し付ける母親へ、娘が抗議するシーンだった。
私は自分が、例えば学歴や職業などの叶わなかった夢を押し付ける母親にはならなかったと自負している。
けれどもそれと、先回りして危険を取り除こうとする過干渉な母親は、どれほど違うというのだろう。
どんなに先回りしたって、危険を完璧に取り除くことなんてできないし、むしろ、失敗したり間違ったりする貴重な機会を、子どもから奪うことにもなるのだ。
今回の骨折は(大事に至らなかったから言えることだけど)子どもにとって大切な経験の一つだ。
いつか、あの時はこのくらい痛かったな、とか、放置していい場合と、そうでない場合とを見分ける指標になるかもしれない。
怪我のきっかけを心に留めて、同じ過ちを繰り返さないように気をつけられるかもしれない。
人はこうして、体と心のあちらこちらに傷を付け、それらを癒しながら生きていくのだろう。
私の「黙って見守る」というミッションは、まだまだ続く。
できれば、怪我も病気もしてほしくない、というのが本音だけれど。
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