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旅人のうた

先日、体調を崩した夫に付き添って、救急受診した時のことだった。
数日間の入院が決まり、処置室の狭いベッドで点滴を受けながら、夫は
「……早く、家に帰りたい……」
と、しょんぼりとした声を出す。

と、その時
「……どうか、二、三日だけでも、置いてもらえませんか……」
薄いカーテンの隣から、おばあさんの、か細い声が聞こえた。
「……家に帰っても、誰もいないんです……」

「ここはね、三次救急医療機関なんです。重篤な患者さんを受け入れて、命を救う場所なんですよ。検査結果を見るとね、我々が〇〇さんにできる治療は何もないんです」
医師の言葉は丁寧だけれど、毅然とした態度は揺るがない。

反対側のベッドでは、年配の男性が看護師にキレている。
「具合が悪い時に、書類の何のって、うるさいんだよ! 同じことばかり言いやがって、いい加減にしろ! そんなもん、書ける訳ないだろ!」

「……そうですよね。でもね、重要なことが書いてあるんです。ここにサインを貰わないと、入院も手術もできないんですよ」
年若い看護師は、罵声を浴びながら、根気強く説明を繰り返す。


私はふと、二年前に看取った長姉のことを思った。

一人暮らしを謳歌していたはずなのに、生活に行き詰まると突然「迎えに来て欲しい」と連絡してきた。
そして高飛車な態度で、妹の世話になることが当然のように「一人ではいられないからね!」と繰り返した。

それなのに次姉と私が、自立してもうらおうと部屋を探したり、家電を揃えたりするものだから、長姉はいつも苛立ち、声を荒らげていた。

——長姉は本当は、とても、とても、寂しかったのだ。
そんなことは、わかっていた。
わかっていても、次姉も私も、自分の生活を犠牲にはできなかった。


誰もが必ず、年老いていく。
今、親の老いを突き付けられて戸惑ったり、悲しんだりしている人たちも、やがて自分が老いる時を迎える。

その時、独りで生きてきた人は、自分の寂しさを、たった独りで受け入れることができるのだろうか。
たとえ配偶者や子ども、孫がいたとしても、彼らは保険でもなければ、老後の世話係でもない。


もうすぐ、長姉の三回忌を迎える。
父、母や長姉の亡くなった年齢に、私はまた少し近づいた。

生きることの寂しさは、年老いてはじめて現れるものではない。
それは、これまでもずっと、私と共にあったのだ。

果たして私は、私の寂しさを、老いと共にうまく受け入れることができるのだろうか。
蓋をしたり、見ない振りをしたり、誰かに押し付けたりすることなく。

老いることが殊の外、難しいと知った今、私はぼんやりと、そんなことを考えている。


男には男のふるさとがあるという
女には女のふるさとがあるという
なにも持たないのは さすらう者ばかり
どこへ帰るのかもわからない者ばかり
愛よ伝われ ひとりさすらう旅人にも
愛よ伝われ ここへ帰れと

旅人のうた / 中島みゆき


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