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たしかなこと

遠い昔、私がまだ二十代だった頃のことである。

その日、私は仕事を終えて、最寄り駅で下車し、家に向かって、いつもの道を歩いていた。

ふと背後から、自動車が近づいてきた。
進入禁止ではないけれど、滅多に車の通らない狭い道だ。
私の真横を徐行運転しながら、助手席の男性が話しかけてくる。
「ねぇ、遊びに行こうよ。乗って、乗って」
白いセダンタイプの自動車で、後部座席にも人がいた。

私はできるだけ彼らを見ないように、前だけを見て急ぎ足になる。
「ねぇ、いいじゃん。ちょっとだけ。遊ぼうって!」
そう言って、全開した窓から身を乗り出していた男性が、不意に私の腕を掴んだ。

咄嗟には声が出ない。
必死でもがいて、掴まれた手を振り払った時ようやく、ゔゔっっ!という唸り声が漏れた。

家を知られてはマズい。
そう考えて私は、目の前の知らない家の門扉を勝手に開けて、まるで自分の家のように中へ入り、玄関脇の植え込みの陰にしゃがみ込んだ。
外まで聞えるんじゃないかと思うほど、ドクンドクンと激しい動悸がする。

自動車は、間もなく走り去った。
そうして、しばらく経っても戻ってこないことを確かめてから、私はようやく、ふらふらと立ち上がった。
掴まれた右腕の、鈍い痛みと不快な感触だけが、いつまでも残った。


ローカル駅の乗降客は疎らで、駅前の商店は閉店時間が早く、夕方を過ぎると一層、辺りは寂れてしまう。

田畑と住宅だけの人通りの少ない夜道を、家まで徒歩約20分。
以前は自転車を使っていたけれど、駅前の駐輪場で、施錠していても盗難被害が二度続き、もう諦めて歩くしかなかった。

職場までは、電車を二度乗り継いで約1時間50分。
当時は珍しいことではなかったけれど、女性社員だけ出社時刻が15分早く定められ、毎朝お茶当番か掃除当番の、いずれかが割り当てられていた。

昼食代を捻出することができず、簡単な弁当を準備するためには、毎朝5時30分に起床しなければならなかった。


その朝、私は通勤電車の中で気分が悪くなり、酷い吐き気に襲われた。
冷や汗が流れ、胃は空のはずなのに、どんどん喉元までせり上がってくる。

混雑した車内で嘔吐したらマズい。
そう考えて私は、次の停車駅で途中下車してトイレへ行くことにした。

ところが、電車が次の駅に停車する少し前から、視界の色が抜けはじめた。
目の前が徐々にモノクロの世界になっていく。
停車して開いたドアを転がるように出たところで、私の視界はとうとうブラックアウトした。

ほんの短い時間だったと思う。たぶん脳貧血を起こしたのだろう。耳の中で、キーンと金属音がする。

ふらふらと二、三歩、踏み出したところで不意に誰かに、がしっと腕を掴まれた。
その場に崩れるように座り込むと、ようやく物の輪郭が見えはじめた。

「大丈夫ですか? 救急車、呼びますか?」
と大層、慌てた様子で若い駅員が、私の腕を掴んで顔を覗き込んでいる。
私は線路のすぐ脇に、へたり込んでいた。

ホームドアなどない時代。危うく線路へ転落してしまうところを、駅員が咄嗟に掴んでくれて助かったようだった。

すみません、ごめんなさい、と何度も繰り返し、救急車を丁寧に断って、私は次の電車に乗った。
掴まれた右腕には鈍い痛みだけでなく、僅かだけれど温かな感触が残った。


遠すぎる通勤ルートを、見直すことはできなかったのか。
少しでも安全な道を探したり、実家を出て会社の近くで一人暮らしすることを考えなかったのか。
そもそも、そうまでして勤めなければならない会社だったのか。

矢継ぎ早に質問した後、カウンセラーは
「自分を大切にするとか、自分を一番に考える、という発想がなかったんですね」
と諭すように言う。
私は今さらながらに、あぁ、その通りだなぁ、と嘆息する。

「自分を大切にする」という機能は、きっと生まれつき備わってはいない。親や養育者から繰り返し大切にされることで、赤ん坊は少しずつ、自分と他者を大切にすることを学んでいくのだ。


長い間、私には「自分を大切にする」ことだけでなく「誰かに助けてもらう」という発想がまるでなかった。

学校や職場で、家庭や人間関係で、私はいつも
「どうせ逃げられない。どうせ変えられない」
と早々に、諦めて生きてきた。

それは一見、楽で容易い生き方に思える。
自分で自分を守るためには、時には声を上げ、時には闘ってでも状況を打破しなければならないからだ。そんな労苦を味わうくらいなら、最初から諦めたほうがいい。

……けれどももしも、たった一人で闘うのではなく、もっと気楽に「誰か」の助けを求めることできたなら?
その方法を知っていたり、差し伸べられる手を身近に感じることができていたら?

身勝手な欲望で、通りすがりの女性の腕を掴んだ手。
職務とはいえ、咄嗟に命を救うために腕を掴んだ手。

だけど……と思う。
何も世の中に「悪人」と「善人」がいるわけではない。
たぶん誰の中にも、どちらの手もあるのだ。


今いる場所は、あなたにとって、安心、安全な場所ですか?
あなたはそこで、自分のことを大切にできていますか?
逃げることなどできないと、諦めてしまっていませんか?

私はようやく、安心、安全と思える場所に辿り着きました。
ここへ来るまでに、長い長い月日が必要でした。
だからどうか、あなたも諦めないでください。
救いの手はいつだって、誰にだって届くと、私は信じています。


忘れないで どんな時も
きっとそばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ

たしかなこと / 小田和正


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うみのちえ
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