遠花火果てて街並みなほ暗し
こちらの企画に参加します。
どうぞよろしくお願いいたします。
その人は、私より少し年上だったけれど、実年齢よりもずっと若く見えた。
そして、私がそれまでに出会ったどんな女性よりも、息を飲むほどに美しかった。
大きくて茶色がかった瞳が印象的で、長い睫毛を伏せた横顔は、思わず見惚れてしまうほど。異性はもちろん、同性であっても、ふらふらと引き込まれそうな、何とも言えない魅力があった。
ふとしたきっかけで親しくなった私たちは、すっかり意気投合し、食事や呑みだけでは足らずに、しょっちゅう長電話しては、たくさんのことを話し、共有し合った。
ちえちゃん、ちえちゃん、と呼ぶ声は、とても柔らかくて甘く、すべてを包み込んでくれるような、私を全肯定してくれるような慈愛に満ちていた。
だから私はたぶん、深く依存して、少し調子に乗りすぎていたのだろう。彼女の本質になど、まったく気付くことができなかった。
彼女には、夫と小学生の子どもがいた。そして、親しくなってしばらくしてから、妻子のある年上の恋人がいるのだと打ち明けられた。
けれどもそんな歪な関係が長く続くはずもなく、彼女と恋人は、それぞれの家庭を捨てて駆け落ちを決行する。
ところがこの逃避行は、決して甘いものではなかった。二人は連日、酷く言い争い、醜く罵り合い、短い日々は悲劇で幕を閉じる。彼が衝動的に、高所から飛び降りたのだ。
久しぶりに会った日、私は何と声を掛ければいいのか、と迷っていた。
すると彼女は、真っ直ぐに私を見据えて、淡々と言い放った。
「あのね、はじめて会った時からずっと、あんたのことが嫌いだったの」
「ちょっとぐらい若いからって、いい気になってたよね」
「あんたの書いた作品も、フリーランスの仕事も、ほんとつまんないし、くだらない」
「そんな短いスカートはいて、棒みたいな足がキレイだとでも思ってるわけ?」
彼女は終始、薄い笑みを浮かべていた。
瞳には得体の知れない憎悪が宿り、整った美しい形の唇から、延々と罵倒の言葉が吐き出される。
私は、何を言われているのか、うまく理解できない。今目の前にいるのが、あの憧れていた、美しい彼女だとは到底、信じられない。
「⋯⋯そんなに嫌いなら、どうして親しくしたの?⋯⋯」
私が絞り出すように、ようやくそう問うと
「決まってるじゃない。いつかこうして、とことん叩き潰してやりたかったからよ」
と、彼女はすかさず答えた。
あぁ、そうか。
狂気って、こんな貌をしてるんだ。
私はぼんやりと、そう思った。
裏切られた思い。心臓が煮えくり返るような苦しさ。吐き気が止まらない。
私は、生まれてはじめて、目の前の人に強い殺意を覚えた。
自分でも到底、受け入れられないような、それはどす黒くて、重く暗い感情だった。
途端にパニック発作を起こして、気が遠くなる。嫌な汗をかいて、口から飛び出すんじゃないかと思うほどに動悸が激しい。
何とか我慢して、私が席を立った時、彼女は一際、声を張った。
「⋯⋯誰かをとことん傷付けて、そうして自分も傷付きたかったの!!!⋯⋯」
後は嗚咽で聞き取れなかった。
その後、彼女は離婚が成立し、一命をとりとめた恋人とも別れたと聞いた。そして、それ以降の消息は、誰も知らない。
きっと彼女は元々、自分自身の問題を抱えていて、私はただ巻き込まれ八つ当たりされたに過ぎないのだろう。
また、彼女の放った言葉すべてを鵜呑みにすることも、間違いなのかも知れない。少なくとも私にとって、心から笑い合った日々のいくつかは本物だった。
けれども、信頼を裏切られ、傷付けられたことによって自分が、一瞬ではあっても、強い強い殺意を感じたこと。
このことは、長く私の心に影を落とした。
彼女が狂気に支配されていたように、私の心にも、その刹那、紛れもない狂気が宿った。
それは自分の中の、知らない自分が、顔を覗かせた瞬間だった。