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風呂と宇宙

アイソレーションタンクとそれにまつわる思想について執筆したテキスト。

初出「ビジスタニュース」:2010/04/07


寒い。四月のはじめだというのに寒い。私は寒いのが苦手なので、早く春になればよいと願っているのですが、しかし、春になれば花粉が舞い、夏になればクソ暑い、秋は辛気くさく、そしてまた寒い冬がやって来るというわけで、まあ四季それぞれ面倒なことが多いと嘯きつつも、考えてみればどうせ真冬は部屋のエアコンを全開にして半袖で眠り、真夏には冷房を全開にして毛布にくるまって眠っているのだから、たいして四季など気にすることもないのではないか、と今気づきました。

しかし、この寒い時期にも多少ながら楽しみはあり、それがなにかと言えば、風呂に決まっております。今日などは、朝昼夕晩と四度も風呂にはいりました。めんどうなので風呂に住みたい。海面上昇して世界が風呂になればいいと思っております。

風呂といえば日本だけではなく昔はローマでもさかんだったそうで、先日のマンガ大賞に選ばれた『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)というマンガには、そのあたりのことが描かれており、まさに日本は今、密かな風呂ブーム! しかし私の考える究極の風呂は、おそらくこのマンガには未来永劫、絶対に登場することはない。それがどのようなものなのか? その話をする前にひとつ別の話題を。

先日、『LOST』や『スタートレック』などでおなじみ、J.J.エイブラムス監督の新作海外ドラマ『FRINGE』を見た。これ、ざっくり言うと『Xファイル』をよりアップデートしたみたいな話です(ほんとにざっくりです)。以下概略――

国土安全保障省の監督の下、マサチューセッツ州ボストンを拠点に、FBIのFringeチームの活躍を描く。世界中で「パターン」と呼ばれる不可解な事件が発生、FBIの女性捜査官ダナムは、精神病院に幽閉されていた「fringe science」(非主流科学。境界科学)の第一人者であるビショップ博士の手を借りてその事件を解決する……。

――この「fringe science」というのはいわゆる「疑似科学」、要するに科学の皮をかぶったオカルトだ(疑似科学については『疑似科学入門』[岩波新書]などを参照)。マッドサイエンティストとして描かれているこのビショップ博士。一話目で主人公が、意識不明になってしまった恋人の夢の中に入るシーンがある。ここで博士が考案した方法は、頭に電極をぶっ刺して二人をつなげ、LSDを飲んだ主人公を、鉄でできた四角い水槽のなかにぷかぷか浮かべる、というもの。確かにマッドサイエンティストたるもの、脳に電極を刺すのが基本。正しい。だが今はそちらではなく水槽に注目してください。ちょうど学校なんかにあった四角い鉄の焼却炉を長方形の棺桶にしたような形で、表面が不気味に錆び付いている……。

この水槽は正式名称をアイソレーションタンクといって、アメリカの脳科学者、ジョン・C・リリー博士が1950年代に考案したものだ。一貫して人間の意識の問題を研究していたリリー博士は、全感覚を遮断したとき――つまり身体の外部から得られる情報がほぼゼロの状態――意識に何が起きるかということを研究しており、その過程でつくられたのがこのタンクである。

その後、博士の研究はどんどんディープな方向に深化していき、LSDやケタミンを飲んでタンクに入って幻覚を見たり、タンクで浮かぶことからの連想で、イルカとのコミュニケーションの研究にものめりこみ(ディエゴ・マラーニの『通訳』[東京創元社]は、このアイデアを取り入れた作品だと思われる)、地球暗号統制局〈ECCO〉と呼ばれる存在に遭遇したと主張したりして、アカデミズムからは完全に異端視されてしまう(あまりこういうことをご存じない方のために付記しますが、リリー博士は実在の人物です)。ビショップ博士のイメージがここから来ているのはほぼ間違いない。

で、話をもどすと、白金高輪にこのタンクが設置されているリラクゼーションルームがあり、私は数年前に一度そこでアイソレーションタンクに入ったことがある。結論から言うと、これこそ冒頭で書いた究極のお風呂だ。

店にいくと、まず主人がレクチャーしてくれる。ヨガにおける究極のポーズに「屍のポーズ」というものがあり、これはただ地面に寝ているだけにみえるが、完全に全身の力が抜けている状態であり、このタンクは修行なしでそれを体験させてくれるという。あるとき、店に禅僧がやってきて瞑想状態との差異を確かめられたらしいが、短時間で深い瞑想状態に入ることができたそうな。ご主人は生前のリリーさんと親交があり、信念を持ってここを運営されているようだ。

儀式を終え、言われたとおり水に感謝を捧げ(こういうのはセッティングが重要だ)、さっそく入ってみると風呂というには水深25cmくらいなので浅いのだが、温度は体温よりちょっと高め。中は水ではなく、塩化マグネシウムが溶かし込まれたエプソムソルトという液体で満たされている。この液体は体液に比べると非常に濃度が高く、長時間入ってもふやけず、肌にも優しいそうだ。気のせいか、すこしぬるっとした感じがするのと、かすかにケミカルな臭いがするくらいで特に気にならない。あおむけになって寝そべると、底に沈むことなく、無重力空間のように身体がぷかぷかと浮かぶ。入ってから15分後――。

あれ……?

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