読書|ミシンと金魚
ミシンと金魚/永井みみ
友人の家にお邪魔した帰り道、まず表紙が綺麗で目に止まり、『ミシンと金魚』という言葉の響きもなんだか好きで購入した一冊。
読みはじめの率直な感想は、癖が強いお婆ちゃんが出てきたな、これからどう進むんだろう、だった。そして決して綺麗だけじゃない現実のにおいも感じるような気がした。
本を読んでいる時、においを感じることがある。恐らく感情のにおいじゃないかと思ってる。同じ経験をしたことがあるとかではないのに、そう感じるのは不思議な気分で、未だにこの感覚を持て余してる。
それをはじめて認識したのは学生の頃に読んだ『蹴りたい背中(綿矢りさ)』だった。今でもあの時の感覚をたまに思い出す。それぐらい私には強烈な経験だった。この本もきっと数年後でもふとした時に思い出すのだろうと思う。
物語の主人公であるカケイさんの人生も、カケイさんの周りの人も、私の人生からすると中々に濃いし、老いで動作がままならないようなカケイさんの状況になるのはもう少し先の未来だ。
それなのに読み進めるほどに身近に感じるような何かがあった。介護の現場だって、私は肌で感じたことはないはずなのに。
カケイさんは飛び出す言葉もふとした動作もままならない描写がたくさんある、思考も少しとびがちな時がある。老いとは自然なことで、仕方のないことだと、そういった描写をとても納得した気持ちで読んでいた。
だけど、たまにカケイさんは鋭い思考を巡らせている時があって、すごく自然な流れでそれが書かれている。そういった場面が出るたびに私は少しの戸惑いを感じた。
私はきっと世界がボヤけはじめたら、それは崩壊する一方だと無意識のうちに思っていたのかもしれない。少しずつ綻んでいる中で対外的には見えにくいかもしれないけれど、内側で流れ星のように煌めく瞬間があるのかもと思った。
思考があっちこっちにいくカケイさんも、鋭く考えを巡らせるカケイさんも確かにカケイさんなのだろう。
本を読んでいると残りのページ数から、もうそろそろこの物語が終わることがわかってくる。終わりを察するにつれて、何とかスーパーハッピーエンドにならないかと思っている自分がいた。ここでのハッピーエンドが何かもわかってさえもいないのに。悪役に窮地に追いやられた主人公に仲間が駆けつけるような、そんな強引な何か、とにかく何か上手くいけ、なんとかなれと思っていた。
この物語の最後の一文はとても美しく思う。
何に対してなのかわからぬまま、なんとかなれと勝手に思っていた自分がスッと物語の終わりを受け止められるぐらい。幸せとか感動とか良かったとかよりも、美しいなという言葉が私にはしっくりきた。
読み物の感想を長々と書いたのは恐らく学生時代の読書感想文ぶりだと思う。
これを書くのに数日を要した。
実際にはもっとたくさん思考したことがあったけれど、まだ自分の中に落としきれていないのだろう。言葉としてアウトプットする事が難しく、書いては消してを繰り返した。どうにかここに書いたものも、とても稚拙かと思う。
でもこれが今の私だなとも思ってる。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
この先も出会えた本の想い出を、気ままに残したりしそうです。
またね
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