梨木香歩『からくりからくさ』《砂に埋めた書架から》9冊目
私が昨年(1999)読んだ本の中で一番印象に残っているのが、梨木香歩の『からくりからくさ』という作品である。彼女は主に児童文学の場で活躍している人気作家だが、『からくりからくさ』は児童文学とは一線を画し、「大人」に向けて書かれた小説だ。
主な登場人物は四人の女性たち。そして一体の人形。
主人公の蓉子は、先頃亡くなった祖母が使っていた古民家を、下宿として使うことにして、女子学生の友人を住まわせることにした。自分も染色の工房を一階に置き、そこに管理人として住まうことを条件にして。
下宿人は、鍼灸の勉強のために日本に来ているマーガレット。機織りの音がうるさいという苦情のため下宿先を探していた内山紀久。テキスタイルの図案の研究をしている佐伯与希子。紀久と与希子は共に美大の女子学生だ。
幸いにも皆、この古い住まいを気に入り、こうして蓉子の祖母が残した日本家屋で、同じ年頃の女性たち四人の共同生活が始まるのである。
この作品で忘れてはならないのが、「りかさん」という人形の存在だ。漆黒の髪を持つこの市松人形は、蓉子が九つの誕生日の時に祖母からもらったもので、不思議なことに「りかさん」は、まるで魂が宿っているみたいに、蓉子に話しかけるのだ。りかさんの声は耳に聞こえるわけではなく、蓉子とはスピリチュアルな関係にある、といった方が近いだろうか。
物語は、染め織りに心をとらわれた女性たちが繰り広げる「植物的」とも言える日々の生活が中心となっている。
紀久や与希子の先輩で、研究室に籍を置きながら作家活動もしている神崎の登場。不思議な人形「りかさん」にまつわる数々の縁(えにし)。人形師、お蔦騒動、竜女の面、そしてクルド人たちの文化的背景にある文様の秘密……。
染め織りの世界を、女たちのさりげない生活から、次第に外側に向けて広げてゆく手際は見事である。所々に見られる日本文化の匂いが立ち上ってくるような描写も、読んでいて心地よい。そういう意味では、作品全体が、静謐な雰囲気に支配されていると言えるだろう。
女性作家が女性たちを描く作品には、じわじわとわき上がってくる底力の強さみたいなものをいつも感じるが、『からくりからくさ』は、まさにそんな魅力に溢れている。
女の弱さなら男でも書くことはできるだろう。だが、この作品で描かれているような、微妙な生き方の強さの表現は、女性にしか書けない種類のものではないだろうか。
静かだが、面白く、心に染みてくる秀作である。
書籍 『からくりからくさ』梨木香歩 新潮社
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■追記■
この書評(というよりは感想文)は、2000年2月に作成したものです。
私が誰も訪れない自分のwebサイトに、この感想文を書いて載せたときは、まだ作者の梨木香歩は、知る人ぞ知る童話作家だったと思いますが、そのあと、先に刊行されていた『西の魔女が死んだ』が世間の脚光を浴び、多くの人に知られるようになったと記憶しています。(それとも、私が知らないだけだったのか)
『からくりからくさ』の単行本は、当時、地元の本屋の新刊コーナーで見付けました。とても綺麗な表紙で、帯も表紙と一体化するような作りの調和の取れた綺麗なものでした。初めて名前を拝見する知らない作家でしたが、“池澤夏樹氏推薦”という惹句にも釣られて、本を手に取りました。最初のページを開いて冒頭を立ち読みし、そのまますぐにレジへ。私はこの小説の一行目を目にした瞬間に、買うと決めたことを覚えています。
こういう本との出会い方は、たまにあります。松浦寿輝は、『幽 かすか』という短編集の『無縁』の最初の一文を読んで好きになりました。名前の聞いたことのない作家の単行本を、その場で購入するにまでいたる強い動機は、私の場合、書き出しの文章がすごく自分の好みだったから、ということにつきます。
女性同士の共同生活を描いた『からくりからくさ』ですが、人との関わり方に、不思議と風通しの良さを感じました。四人とも精神的に自立している女性たちだからでしょうか。
梨木香歩という作家の本を初めて読み、感銘を受けたので、私はその後、『家守奇譚』と『村田エフェンディ滞土録』の2作品を読みました。しかし、梨木作品で一番有名な『西の魔女が死んだ』は購入しておきながらまだ読んでいません。先に評判の良さを聞いてしまうと、安心して、つい後に取っておく癖があるからです。
今回の投稿を機に読んでみようと思いました。それから、『からくりからくさ』に関連した二つのお話が収録されている『りかさん』という作品集も。