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吉田修一『ランドマーク』《砂に埋めた書架から》35冊目

 吉田修一の長編『ランドマーク』は、全部で10のチャプターに分けて構成されているが、しかし、冒頭から「Number 10」、つまり、10章から、という意表を突く形で始まっている。もちろん、誤植ではない。まるでカウントダウンされるかのように小説は進んでいき、「Number 1」の最終章で終わるのである。

 埼玉県の大宮に、地上35階の高層ビルを建てる。完成すれば、このビルは街のランドマークとしての機能を果たすであろう。
 ビルの名前は「O-miya スパイラル」。名前の通り、このビルの外観は特徴的である。重箱を一段一段少しずつずらしながら重ねたような、ねじれた構造を持っているのだ。強度もそれに見合うよう考えて設計されている。
 設計した犬飼洋一、そして、このビルの施工に携わる若い肉体労働者の清水隼人。
 吉田修一は、この二つの人生を、さながらDNAの二重螺旋のように、付かず離れずの距離を保ちながら描いていくのだが、そこには常に、いびつなスパイラルビルの構造が抱える不穏なイメージが重なっているのである。

 カウントダウンする形で章が進むわけだが、一つのチャプターの中でも吉田修一は工夫を試みている。
 社会的にブルーカラーといえる隼人のパートと、ホワイトカラーの犬飼のパートを、ひとつに抱き合わせたユニットの形で提出していることである。

 つまり、この小説の構造自体が、ビルを下層階から上へ順々に積み上げるという、その建築方法と同じように組み立てられているのだ。
 そして、建築しているこのビルは、ねじれた外観を持つスパイラルビルだということも忘れてはならない。
 隼人と犬飼の生活も、まるでこのビルと同じように章を追うごとに少しずつ歪んでいくのは、決して単なる偶然ではない。

 私は最終章の犬飼のパートに、吉田修一の真骨頂を感じた。
 カウントダウンが進むにつれて、読者はビルと二人の主人公が軋んでいく音を聴くだろう。ねじれが増幅していく先に待つものは、破滅と崩壊を幻視する強烈な予感である。
 そう、予感である。


書籍 『ランドマーク』吉田修一 講談社

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■追記■

 この書評(というよりは感想文と紹介文)は、2009年1月に作成したものです。

 いつの頃からか、私は色々な小説を読んでいて、それぞれの作品がどういう構成で作られているのか気にかかるようになりました。この小説はどうやって組み立てられているのだろう……この小説はどんな構造になっているのだろう……。そういうことに注意が向くようになったせいか、今まで読んだことのない作りになっている作品に出会うと、興奮で目を輝かせる体質になってしまいました。

 宮本輝が『真夏の犬』という短編集のあとがきで、短編小説と長編小説の違いを「建物」とそれを建てるために組んだ「足場」を譬喩(ひゆ)に使って、私論を述べています。

〈……つまり、組んだ足場だけを見せて、その中にどんな建物が隠されているのかを、読者のそれぞれの心によって透視させるのが短篇小説であり、足場をすべて取り払って、構築された建造物の外観を披露し、内部がいかなる間取りなのかを考えさせるのが長篇小説ではないのか……〉

宮本輝『真夏の犬』(文春文庫)あとがきより

 とても興味深い内容が含まれた譬喩で、短編小説と長編小説の見せる部分と見せない部分の違いを的確に言い表していると私は感じました。

 小説は、作り物である以上、建物に例えてイメージすることができるのかも知れません。この小説は二階建てだ、とか、この小説は平屋だが、その下に何層も地下室が作られている、とか、この小説は、入り口は狭いが一旦中に入れば吹き抜けのある大広間がありそこから先はいくつもドアがある、とか。「入れ子構造」や「サンドイッチ方式」などの言葉は、小説の構成を説明するときによく耳にする機会がありますが、頭の中で立体的なイメージにするには、この二つはわかりやすい例ではないでしょうか。

 中には、変わった「建造物」をイメージさせる小説もあります。作者名とタイトルを言うのは控えますが、ある純文学の短編小説は、読み始めていってちょうど真ん中あたりにクライマックスがあり、そこを境に今まで読んできたのと一語一句同じ文章を今度は逆に辿っていき、最終的には冒頭に読んだ一行目で終わる、という驚くべき作りになっています。
 この線対称のような小説の構造は、主人公の心理とリンクしており、それでちゃんと小説を成立させているところがユニークです。
 例えるなら、オランダの版画家エッシャーの不思議絵に、『上昇と下降』という作品がありますが、そこに描かれている、あの一周すると最初に戻ってしまう「ペンローズの階段」のように、永遠に上り続ける、あるいは下り続ける終わりのない「建造物」をイメージさせるような、そんな短編なのです。

 吉田修一の『ランドマーク』(2004)は、小説の構造と、小説のモチーフと、二人の主人公の心理を、同じひとつの「建造物」にイメージが一致するように描かれた意欲作だと私は思います。

 吉田作品には、ガテン系と呼ばれるような労働者の男たちがたびたび登場しますが、この作品でも彼らたちを活写する吉田修一の筆は冴えています。のっけから「貞操帯」というアイテムも出てきて、独特の吉田ワールドはこの作品でも健在です。

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