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Week6講義のまとめと感想 「利益相反」に思うこと
こんにちは (今日は昼間に書いています)
ウミガメおばさんです。この名前にかなりアイデンティティを感じ始めています。(笑)
Week6の授業細目は以下の通りでした。
・倫理綱領
・倫理審査指針
・倫理審査申請の手続き
・研究実施に関するガイドライン
〇幼児・児童・生徒の学校などにおける研究実施に関するガイドライン
〇施設・機関などにおける研究実施に関するガイドライン
・利益相反
・審査申請書類
倫理に反する人体実験に関する実際例は、知らないものもたくさんもありました。
・オーストラリアにおける「原住民」を対象とした痛みをどのように経験するかの人体実験
・カナダの先住民同化政策によって寄宿学校生活を送る「先住民の子ども達」への結核ワクチンのテスト
・(添付資料内にあった)アメリカの放射線被爆実験では「囚人」を対象にしたという報告書
全ての添付資料は読めていませんが、つまるところ「弱者」を対象にするのだということが、再確認され、社会構造の理不尽さを突き付けられています。同種である人間に対してでさえ、こんなことができるのですから、自分たちより下等だとみなしている異種の動物たちには、どんな実験を繰り返してきたのか、また現在も繰り返しているのかを思わずにいられませんでした。
ワトソンのアルバート坊やの実験は、胸が塞がるような気持にさせられますが、同時にセリグマンの学習性無力感の実験も、何をどんなふうに理屈をつけても、底に流れている「我欲」や「功名心」は同質だと私には思えます。
その実験が誰のために行われたのか、問いたいです。
こんな風に他者を批判するとき、自分はどうなのか、という問いが忍び寄ってきます。そしてその問いは、「なんと!無自覚に加担してしまっているじゃないですか!」と自分に驚く→背筋が寒くなる→へこむ、という流れになることが、ままあるのですが、今回の講義でも、それがありました。
それは「利益相反」について、です。「利益相反」とは①「当事者の利益関係が衝突していること」または➁「当事者の利益関係が影響して、研究における公正かつ適正な判断が損なわれる、もしくは第三者から懸念が表される事態を招く」こと、と説明がありました。
臨床教育学の研究における「利益相反」について、講義スライドには
多くの場合「人」を対象としている
・日頃は援助者や支援者の立場にある者が、援助や支援の対象である児童・生徒や学生、患者や利用者などの社会的弱者に関して実施する研究が多くを占める
・研究者が援助者や支援者という立場で一定の職務を遂行している場合
→援助や支援を受ける人々の利益が存在
→研究者自身に経済的報酬や社会的報酬という利益が見込まれる
とありました。上記の➁「当事者の利益関係が影響して、研究における公正かつ適正な判断が損なわれる、もしくは第三者から懸念が表される事態を招く」の場合について、先生は次のような趣旨のことを補足されました。
研究に協力してくださる「同意」というのは、支援をうけている人の場合、立場上断りにくいものかもしれないし、また引き受けることで何かのメリットを期待する場合もあるかもしれない、一方、研究協力を依頼した支援者も、「協力してくれているから・・・」と特別な何かを加味してしまうかもしれない・・・
なるほど、無意識のうちにそうなっているかもしれない・・としばし考え込みました。無知による無自覚な加担・・です。
ではどうしたらよいか
・公正な研究を実施するために「利益関係の開示」を行うことが重要
・倫理審査申請ならびに研究報告(学術論文等)において利益関係を開示し、研究の透明性を確保する
これらの姿勢が事後の問題化を防ぎ、研究参加者や研究協力者だけでなく、研究者自身の立場も護ることにつながる
なるほど➁「当事者の利益関係が影響して、研究における公正かつ適正な判断が損なわれる、もしくは第三者から懸念が表される事態を招く」を防ぐには「二人だけの秘密」ではなく、第三者にも見てもらっておく、「可視化」しておくことが予防になる、ということなのだ、と思いました。
このことは、研究倫理以外のたくさんのことに通底していると思ったウミガメおばさんです。