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なぜ発達障害が大人になって発覚するのか

生まれながらの障害のはずなのに、おかしな話だと思う。

ウィキペディアによれば、発達障害の概念が日本に入って来たのは1970年代、我々の親世代が子供の頃にはなかったものである。我が子が多少奇行に走っても、親自身に身に覚えがあればどうだろう?「普通」だと判断するのではないか。

そう。そもそも親も発達障害者という可能性は無視出来ない。

そうでなかったとしても、未だに精神病にすら偏見の多い日本だ。精神科や心療内科を良く思わない人は多く、ましてや障害者を産んでしまったとなれば、親類に何を言われるかわからないと、頑なに認めない親も多いと聞く。

何せ私自身がこのパターンだと思っている。両親は未診断ではあるが、発達障害界のサラブレッドであると信じてやまない。

母親に関して「この人は変だ」と思ったのは小学校低学年。そして母は精神科や心療内科が大嫌いだった。父親はまともに会話が出来るだけ母よりはマシだったが、十分変人だ。

そんな両親を持つ私の奇行の最古の記憶は3歳。土を食べるのが好きだったというのがある。他にもASDに該当するものとして、一人遊びが好き、特定の人形に執着する、偏食で牛乳ばかり飲む、好きなものが無いと泣き叫ぶ、毛糸の服が着られない、環境が変わると熱を出す、皮膚が弱い、扁桃腺が弱く季節の変わり目に弱い、などはこの頃からあった。

収集癖に関しては時代と共に移り変わったが、ルーツはツルツルの石だ。

「変わってるね」という言葉はまるで挨拶のように、今も昔も変わりなく老若男女に言われ続けている。

決して何も問題がなかった訳ではない。遅刻や忘れ物は常習だった。反省文を書かされたり、廊下に立たされたりしたこともあった。そして小学校5年生の頃には、ほぼクラス全員に無視されるいじめに遭っている。

色々な事がちょっとづつみんなと違う。集団の中で浮く。

だから学校行事も苦痛になる。全く興味のないことで「みんなで一致団結してひとつのことをやり遂げる喜び」なんて言われてもさっぱりわからない。

しかし「無視」や「孤立」といったものは、もともと一人が好きな私にとって、さほど大きなダメージにはならない。なので、心に傷を負うということもなく、たまたま転校もしたので全部なかったことになる。

中高大は大きな問題はなかったが、それが何故かは明白で、その頃にはオタク趣味が出来て、同じ趣味の仲間とずっと連んでいたからだ。もしそれがなかったら、小学校の時と同じような事が繰り返されていたのではないだろうか。もしかしたら、もっとエスカレートしていたのかも知れない。

算数が出来なかった件に関してはどうなのか。

常に点数は悪かった。再試も多かった。しかし、理屈は全くわかっていなくても、解答のパターンを探ってみたり、丸暗記で何とかしたり、時には第六感に頼って、ギリギリ逃げ切っていた感じだ。習得したわけではなく、あくまでテストの点を取っていただけなのだ。

このように、私自身は殆ど変わっていないのに、色んな場面で上手くすり抜けて来てしまった。

気の合う仲間とだけ過ごすことを選んだ学生時代と、ポンコツでも許容される環境だった最初の会社。ここまでは何とかギリギリセーフだったと言えるかも知れない。

しかし、不特定多数を相手にする職種となると、それまでと同じようにはいかないのだ。






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