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繊細だから生きづらいのだと思っていた

こんにちは。
気がつけば、3月になってしまいました。

みなさん、健やかにお過ごしでしょうか?
私は先日、24回目の誕生日を迎えました。

今回は24年生きてみて感じていることを書きます。

みんな普通に視野が広い

自分は繊細だという自己認識が昔からあります。
周囲の人の感情の変化に気付きやすいため、女性相手だと生理周期も分かったりします。

そして、ネガティブ思考です。
自分のあの言葉が、あの行動が、相手の気分を害したのだろう。と一人反省会を開くことは日常茶飯事です。

恥ずかしながら学生時代は「みんな鈍感で羨ましい」「私は感じやすいから損だ」と考えていました。
「でも繊細な私にしか気付けないこともあるよね」という自負もありました。

確かに鈍感な人はいます。嫌なことはすぐに忘れてしまう人もいます。
しかし、そういう人って結構少数派なのだと歳を重ね、たくさんの人と関わるうちに分かってきました。

多くの人は、私が思っていた以上によく見えてて、よく気付いてて、よく考えている。
そして取捨選択が上手いから、腐らせてまで溜め込まない。

自分に上手く咀嚼する能力がなかっただけなのにみんなは鈍感で羨ましいとか思っていたのが本当に恥ずかしい。
悲劇のヒロインぶっていたのが恥ずかしいです。

繊細だと思い込むことはかえって鈍感を生む

「自分は繊細だ、だから生きづらい」の構文は非論理的なのだと気付くまで、大変時間がかかりました。

今思えば、学生時代の私は、生きづらさを繊細さのせいにして、私は特別だから仕方ないと奢り、自己陶酔し、生きやすくなるための努力を放棄していました。

生きるのが上手い人というのは、高い感度を持ちながらさっぱりとして、感じたことを処理するのが上手い人だと私は考えています。

自分のことばかり見ていては、かえって視野が狭くなってしまいます。
周囲に目を向け、「この人はこういうことを感じたからこの行動をとったんだ」「私だったらこうする場面で、この人はこうした。そして上手くいった!」「私がしたこの行動、こう感じさせてしまっていないかな?直接聞いてみよう!」など、観察、思考、実践を繰り返していると、少しずつ自分が変わっていくのが感じられる。

今世24年目のはじまり

これからはもっと謙虚な心持ちで人を見て、気付きの処理方法を勉強させてもらおうと思う。

薄皮が毎日一枚ずつ剥けて、ここ数年でじわじわと自分の変化に気付いた。
自分はまだまだ至らない部分が多いし、人より成長が遅いと感じる。

伸び代十分と見た。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ご意見ご感想ありましたらコメントいただけると幸いです。

それではまた。

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