「父」に悩む
土曜日の午前中。眠くてぼんやり。
昨日「フリーキー・グリーンアイ」というヤングアダルトの小説を読み始めて、ちょいサスペンスな内容だったので、結末が気になって(というか主人公が心配になって)、一気にぱーーっと読んでしまった。
このところ、無意識に選んだ映画や本が、「父と娘もの」であることが続いている。最初に「インターステラー」というSF映画を見て、これがハリウッドによくある、超理想的な父が活躍するハナシだった。
(映画の内容自体はおもしろかったので、オススメです。パイロットの父が、地球を救うため、ヒロイックな活躍をするという内容。オーソドックスな映画かな?と思って見始めたら、先が読めなくて、次どうなるの??と見ている人の関心を離さない映画でした。)
次に見たのが「湿地」。アイスランドが舞台の、刑事モノ映画です。
これも「父と娘」、「親と子」がお話の軸にあります。
悲しいお話なのですが、すごく好みでした。殺人事件の捜査と、ベテラン刑事である主人公の、家族の問題が同時に進んでいきます。
そして、昨日読んでいた「フリーキー・グリーンアイ」。これも横暴で支配的な父に苦しめられる娘のオハナシ…。
3連チャンで、父と娘!!!
あなたのお父さんは、どんな方ですか?
子育てに関わるお父さんでしたか?
私の父は、典型的な日本のおとうさん 。つまり、仕事しかしなくて、こどもの養育には、まったく関わらない。
遊びに連れてってくれたし、冷たい人でも、高圧的な人でもなかったけれど、私の不登校には、完全にノータッチ。見事にぜーんぶ母まかせ。
一番大事なことには、関わらない人。それが父。
私がこどもの頃(1990年頃)、不登校は、まだ珍しかった。知識を持っている先生とか、誰もいなかった。今と違って、情報が気軽に集められる時代ではなかった。HSPとか、発達障害みたいな分類も、まだなかった。
インターネットが普及する以前は、「人はみんな、それぞれ違う」という当たり前の認識が、希薄だったのかもしれない。
あの頃、「不登校=病理」と捉えられていて、「どんな家庭の子にも、普通に起こりうること」ではなかった。こどもは学校に行くのが当たり前で、義務で、仕事だった。学校に行かないというのは、イレギュラーなことであり、重大なルール違反だった。
私とお母さんは、世間の偏見・ルールに捉えられ、苦しんだ。
毎朝毎朝、お母さんは私に、学校に行くことを強いた。私はうずくまって、泣いて拒否した。どんなに怒られても、学校に行くことは、私には怖すぎた。生まれつき神経質で、内向的で、漠然と「社会」が怖かった。
典型的な弱い人間で、集団生活や競争に、まったく向いていなかった。
お母さんがどんな風に、どんな言葉で、私に怒っていたのか、あんまり記憶がない。つらすぎて脳が勝手に、記憶を消去したようだ。ほぼ毎日怒られ、毎日泣いていた。地獄の日々だった。
「 世 間 と 同 じ に な っ て!!!
お 願 い だ か ら 普 通 の 子 に な っ て!!! 」
それが、孤立無援の、お母さんの叫びだった。
あの苦しくて辛かった期間、お父さんは、いったいどこにいたんだろう?
なんでたすけてくれなかったのだろう?
なんでなんにもしなかったのだろう?
義務教育の期間が終わって、不登校児→「ひきこもり」へと呼び名がかわっても、私に関わるのは、結局お母さんだけ。カウンセラーさんが、お父さんも面談に来るように促しても、父は出席しなかった。
「お父さん」て、なんなんだろう?
頑張って仕事して、生活費を稼いでくれて、そういう意味では、自分が生きていられるのは、間違いなくお父さんのおかげなんだけど…。
でも、生まれてから今までの人生に、成長過程に、わたしのこころに、まったく影響を与えていない人、それがお父さん。
「お父さん」て、なに??
あなたのお父さんは、どんな人でしたか。
家族に対して、どのように接していましたか。