正解を見つける方法
もうだいぶ前の話だけれど、数人で話していた時、「正解って何だろうね」という話しになった。
出てきた意見はそれぞれで、わたしも含めて、誰もが自分の経験則から色々な事を口にしていたと記憶している。
そしてまた近頃、わたしは「正解」ってなんだろうとよく考える。人生には「正解」なんてないんだよとはよく聞く話でもある。
ところで、人生大分歩いてきて思うのは、苦労のない人なんていないということ。一見、全てを手に入れているように見える人でも、やはり悩みがあったりするものだ。平凡に生きてきたひがみ根性というわけではないけれど、特に華やかに駆け上がった人に、それが時々見え隠れする時がある。
成功は正解じゃないのかも、とはよく思うこと。
ネットの世界でもそんなことを思うことがある。以前わたしは、noteのフォローワーが少なすぎることを「失敗ですね」と言われたことがある。で、「え?どのくらいのフォローファーがいたら成功なんですか?」と問うと、「その期間続けているのなら3千はなきゃダメでしょう」とバッサリ。ということは、今なら6千はなきゃ大失敗ということになる。
その時には、その方に腹が立ったりしたけれど、それでも、まあ、いいか、とわたしはそのままのペースで今もnoteを書いている。
ただ、ちょっとだけプチ告白をするなら、声を届けるために、駆けあがりたいと思った時期もあった。けれど、ある時、やっぱりSNSは一般の社会とそうは変わらないんだということに気が付いた。それは急速に声が大きくなり、数万人のフォローワーを持つインフルエンサーになった方が、一夜で1万人のフォローワーを失ったのを知った時。
わたしが注目していたその方は、気持ちいいほどストレートに文章を書かれる。だからこそ反応も大きい。ただ、時にわたしは、その強すぎる主張が、言いたいことを歪めていくように感じていた。そして、わたしはその方が書くような言葉を、自分の知っている人に向かって言えるだろうかと考えた。
その方は、SNS上で成功されている。なにしろ、圧倒的なフォローワー数があって、反応も大きい。ところが、わずか一日で、1万人の人がその人の元を離れたという。
わたしはその出来事の理由をちゃんとは知らないけれど、なんとなくわかる。何も言わないけれど、わたしもその方の強すぎる主張についていけなくなっていたのだから。
人は手にした成功を、直ぐに正解だと思ってしまう。
けれど、そこが落とし穴であったりもする。
成功はともかく、大成功は苦悩の始まりという人もいるぐらいだ。
わたしは役者などで、ああ、この人まだいたんだ~と懐かしいような人が、相も変わらずいい演技をされているのを見るのが好きだ。生きるのがお上手な方だなと思う。そんな方に限って、しっかりと自分の領域で根を生やし、周りにこっそり尊敬されていたりする。ああ、なんてカッコいいんだろう。
というわけで、ここで渋沢栄一氏の正解の見つけ方を少しご紹介してみたい。
よく、わたしたちは悲観的な人に、「クヨクヨしていたっていいことなんてないよ、もっと楽観的にならなきゃ」なんてことをいう。「笑って過ごせばまた明日は来るんだしさ」なんて無責任なこともいう。
けれど渋沢氏は、どちらも駄目だという。
偏るなと。
両極端に偏らないことが大切なんですよと。
偏らない人をみつける方法があって、それは、言行が核心をついている人。そんな人は偏りのない人だという。
そして、それがは、中庸の人だという。
で、そんな人だけが、世の中のことを円満にやれるともいわれている。
しかも、悲観、楽観に偏らない人は、すべてが面白いくという。
おまけに、偏らず動き出すと富も手にできるという。
ただし、この富は強い信念と厚い徳義に支えられていなければ、崩れていくものらしい。
ただし、強い信念と厚い徳義があれば、雑念も起こらず、邪路に迷い込むことも無いという。
こんな「正解」なら、なんだか安心だ。
※参考図書
『渋沢栄一 君は、何のために「働く」のか』東大名誉教授 竹内均 三笠書房
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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