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絶望の先
今日は映画を観てきました。
地元のシネマ倶楽部で選び抜かれた名画で、タイトルは『桜色の風が吹く』です。
9歳で失明し、18歳で聴力まで失いながらも、世界で初めて盲ろう者の大学教授になった、東京大学先端科学技術研究センター教授・福島智さんとお母様の実話です。
その中に、宿命という言葉が出てきました。
もともと利発で、明るい少年だった彼が、徐々に視力を失い、
今度は聴力まで失います。
その彼を支えるのは母親です。
その母親が、息子の視力が失われそうになる時、近所の神社へお百度詣りをします。ところが、さらに聴力までも失いかけた時、同じ神社の鳥居の下で、お百度詣りを止めて帰ります。
そういえば、つい最近、オンラインでお話しした人が、希望は絶望の後にしか生まれないといわれたのです。
その言葉が印象に残っていました。
確か、希望と変化をテーマに話した時でした。
その言葉を聞いて、わたしたちは希望という言葉を気楽に口にしますが、
希望とは、それほど稀有なものなのか、と感じたのです。
その彼は、その絶望の中で、やがて、
自分の宿命を悟ります。
それが、絶望の後に見えてきた彼の希望でした。
宿命という言葉を耳にする時、
人の人生は決して平等ではないと感じます。
その不平等な生の中に、宿命が隠されているのであれば、
絶望を乗り越えられた人には、
光が見えるのかもしれないと思いました。
決して軽々しくはいえませんが、
この映画が、希望という言葉の稀有さを改めて教えてくれました。
そして、絶望は光と隣り合わせであってほしいと思いました。
※最後までお読みくださりありがとうございました。