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アフターコロナに服探し


少しきちんとした服が欲しくてデパートへ行った。ところが、どの店にもスーツが置いていない。というか、ジャケットがない。あってもほんの1,2点。

なるほど、と思った。確かに、街を歩く人の姿がコロナ禍の途中から変わっているのだ。

夫の勤め先は、夏はネクタイもジャケットもなしだ。けれど、男性のカジュアルスーツならコロナ前からあった。

変わったのは、女性の方だ。中でも気になるのが、女性の足元。今ではヒール姿の女性はあまり見かけない。

わたしは今、東京を歩く時はどこでも、たとえば、あの丸の内や日本橋でさえもスニーカーで歩く。もちろん、コロナ前は、ご近所はともかく、東京のど真ん中は決まってコツコツと靴音をさせて歩いていた。

ところが今は、よほどのことでもない限りヒールは履かない。どうしても、という時には、ヒールを持参し、こっそり現場で履き替える。

わたしにはもう、ヒールで一日歩きまわる根性はない笑。

そう、わたしのように、ハイヒールが苦手な女性たちは、コロナ禍でついにそこから解放された。だから、それとセットのスーツも品数が少なくなっているのかもしれない。

ハヤトチリじゃなければ、カジュアル化東京、万歳!


かつて、パンデミック後に世界が変わるとか、新たな文化が花開くとかいわれていた。それって、こんなことだったのかもしれない。

通勤しなくても仕事ができることがわかり、今では米国のマンハッタンでも空きオフィスが目立つなんていうニュースを耳にする。企業に入れ物が要らなくなって、だから、起業でも、オフィスを借りる必要もなくなった。

一度、世の中の動きが止まる。それは恐ろしいことだったけれど、動きを止めた社会がゆっくり動き出す時には、もう社会は次のステージに移行している。

その次のステージでは、誰もが密かに無駄だと思っていてもいえなかったものが、波風立てることなく静かに置いていかれる。

そうそう、女性の足を窮屈にするヒールも、多くの女性たちがそっと古い時代に置いていった。そして、颯爽と今、女性たちは動き出したのかもしれない。


それだけじゃなく、わたし自身、コロナ前とは考え方が変わっている。

この感じは、社会が変わった影響を受けているのだろうか。

かつて、わたしは慎重だった。慎重すぎて、いったい自分が何をしたいのか分からないほど地味に、そして過度に慎重だった。

けれど、今はあの頃とはちょっと気分が違う。

静かなコロナの3年+介護の1年を経て、わたしは動くことの魅力を改めて知りはじめている。

実際、動き出してみると、世の中が以前とは違っていることを肌で感じる。世の中は、良くなろうと回り始めていると思えてならないのだ。

以前のわたしなら、なるべく目立たちたくなかった。面倒な事には関わりたくなかったし、誰とでも知り会うなんて、とんでもないことだった笑。

それなのに今は違う。いずれ起業するのなら、人に覚えてもらいたいと思うようになった。

なんだ、この変化!

不思議なものだ。


日本社会が、ちょっとだけカジュアルになった気がする。なにしろ、あの重々しい空気をわたしは今、あまり感じていないのだから。

動き出すと叩かれると思い込んでいたあの頃、損していたなと思う。動いてみて、それをしっかりと受け止めてくれる人たちがこんなにもいる。

思い込みとは強いもので、動くことは目立つことだと考えすぎていた。目立つなんて、よほどのことがなければ難しいってことがすっぽりと考えの中から抜け落ちていた笑。

動いてみて、これほど世の中が違って見えるのなら、絶対に動いた方がいいってことに、わたしはようやく気が付いた。


今日は、そんなふうに動きはじめたわたしに影響されたのか、夜、わたしが参加する講演会に夫も行くよといいだした。

もちろん、わたしから誘ったわけじゃない。それでも、夫婦で平日の夜、街で待ち合わせして夕食を共にして、それから集まりに参加するなんて、以前であれば想像することすらできなかった。

ずっとサラリーマンとして生きてきた夫が、起業しようと動き出した妻を、なんだか楽しそうだなと思い始めているのかもしれない。

それなら最高だ。

そういえば、50手前で大学に入った時も、夫はこうしてわたしのやっていることに興味を持ち始めた。そして、わたしたちはだんだんと仲良くなった笑。

日々、ほんのわずかしか進めないことに焦ることも多いけれど、それでも、今夜はわたしは確実に前に進めているって気分になれた。

だから、わたしは今、明るい色の服を探しているのだと思う。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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