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【介護】苦しい時や辛い時は、やっぱり発信するのがいい。

あなたは誰かに誤解されたことはないだろうか。

振り返ると、わたしは、どうしてこんな目に合わなきゃならないのだろうと思うような経験をこの人生で何度もしてきている。けれど、今回、これまでだったら諦めてしまっていたような負のループから偶然にも抜け出せた。

と思っていたけれど、これは恐らく偶然ではない。抜け出すべくして抜け出せたのだ。それは、懐かしい友と電話で話しをしていて気が付いたことだった。


母が倒れて本格的な介護が始まってもう一月以上が経過した。もはや日記のようになっているこのnoteを振り返ると、その始まりは10月10日以前だったようだ。

といっても、この時、まだ本物の介護の意味をわたしは知らない。

それから89歳の母は、あれよあれよという間に動けなくなった。

はじまりは10月19日の夜間の救急搬送だった。激しい腹痛を訴えて搬送された先で、一時間後、夜中の3時近くに介護タクシーを呼んで自分で返って下さいといわれ、驚いた。

この日から、わたしはほとんどまともに睡眠がとれなくなった。クラファンの準備も本格的に始まっていた。

それから、母を残してほんの一時間ほど買い物に出た夜、母がトイレで倒れた。

夜慌ててまとめ買いをしている時だった。夫から電話が入った。「お母さんがトイレで何か言っているけれど、ずっと出てこないよ」と。

荷物を抱えてわたしは慌てて走って家に帰った。すると母がトイレの床に倒れていた。

家に帰った夫が、トイレの中の母を介抱すればいいだけの話なのだけれど、それはできない。数年前から娘の家で暮らしはじめた母は、夫にそれはそれは気を遣う。それはどう取りなしても無駄なのだ。とにかく母は夫に嫌な思いをさせたくないと心から思っている。その気持ちを察している夫もまた手が出せない。

なかなか効かなかった下剤が効いて、腰を痛めてまだ一人では歩けないというのに、どうやって動いたのだろうと今でも不思議なのだけれど、とにかく母は必死で這ってトイレにいったのだろう。ちゃんと準備して家を出たわたしは、こんなことが起きるなんてと絶句した。

母がまさかのトイレの床で倒れて動けなくなったいた。下剤が効いてどうにもならなくなった体を、まだトイレに座れない体を、必死で引きずってトイレにいったのだ。

部屋に異臭がすることが嫌だったに違いない。会社から帰る夫にそれを気づかれたくなかったのだ。母はそれほど夫に気を遣う。ほんの僅かな時間だったのに。

その日から、母の体調は転がり落ちるように悪化した。

そのことを地域包括センターの方にお話しした。とにかく一刻も早く誰かに助けて欲しかった。

ところが、あれがはじまった。そう、わたしは完全に誤解されてしまった。そのことに気が付いたのは、少し経ってからだった。とにかく、どうにもならないほどの負のループがはじまった。

我が家に降りかかった出来事を、そのまま地域包括センターの方にお伝えしたのがよくなかった。

救急搬送された隊員さんにとても乱暴に扱われたこと、夜間運ばれた先の病院で介護タクシーを呼んで自分で返れといわれたこと、総合病院のドクターがご相談しても目も合わせて下さらずに困っていること、そんなことをストレートに話した。必死だった。

それがよくなかった。

ここからどうやらわたしはモンスター介護者になった。

わたしはまるで相手にされなくなり、介護認定に来てもらえるのが早くて一月先で、認定が降りるのはもっと先だという。

それまでは、何を相談しても、「ああ、そんなこと、わたしもありましたよ。ありますよね~」という会話が続くだけだった。

この時ばかりは、母ではなく、どれほど自分が社会的弱者になったかを感じた。本当に助けてくれるはずの人が何もしてくれない。お願いしても、ルールですからとだけ言われる。

いつもだったら、わたしはここで諦めてきた。

けれど、今回だけはどうしようもなかった。もう限界だった。そのことをちょっとした用があった際に役所に行き、そこで担当の人にこぼした。すると、瞬く間に状況が変化して、地域包括センターの担当者が変わった。

翌日には、あたらしい担当の方が我が家にいらして下さった。

その方がケアマネさんをご紹介して下さり、いろいろなことがどんどん動きはじめた。そのケアマネさんが、緊急事態ということで前倒して動いて下さった。介護申請をしつつ、審査を受けつつ、家の中に介護用品が揃い始めた。

その間、母の通院先の総合病院の先生に紹介状を書いて頂けるよう、わたしがお願いにもあがった。

ところが、今日、はじめて訪問ご専門のドクターが我が家へ来られた際に、皆で驚いた。

母のこれまでの担当だった総合病院のドクターの申し送りには、ほとんど何も書かれていなかった。

いろいろと理由はあると思う。けれど、母が倒れて完全に動けなくなって通院は出来なくなったことを詳しくお伝えしたのだ。あれほどお願いしても、ああ、いいですよ、とわたしの目も見ずに答えられたドクターだ。そして、まさかの、なに一つ母の症状を書いては下さっていなかった。

そんなことが判明して、ようやくわたしがモンスター介護者ではなかったことが明らかになった。

人生には、なにか可笑しな事が偶然にも重なることがある。それをそのまま訴えたことで、辛い思いをしているはずの自分が、さらに落ちていくことがある。

本当にある。

今回はひしひしとそれを感じた。

けれど、今回は諦めず別な場所に発信したことで、負のループから抜け出せた。

それは、10年振りに電話で話した友が、果敢にパワハラと戦っていた話を聞いて感じたことだった。わたしは以前、彼女と同じようなパワハラにあった時、かんぜんこうふくした。諦めたのだ。なにを言ってももう誰も何もしてくれないと思える程、徹底的にやっつけられた笑。

けれど、彼女はわたしと同じような状況にあったというのに、徹底的に自分よりはるか力の強い人を相手に、それなりの機関に訴えて、状況を打破していた。

凄い。凄すぎる。

そう、困っている時には、ずっと耐えているだけではやっぱり駄目なのだ。助けて下さいと訴えても声が届かなければ、おぼれる前に、別な場所で声をあげなければ駄目なのだ。

今日はそんなことを思った。

といっても、今は優しいつながりがどんどん広がって、感謝しかないのだけれど。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※現在「女性の働き方を変えたい」と動きはじめています。その活動の一歩としてクラファンを選びました。こうした活動にご興味のある方のご支援と応援をお待ちしています。そして、よかったら拡散もお願い致します。


※スタエフでもお話ししています。

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