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また書きたくなったわけ。#読まれないnoteを書こう


面白い企画に出会った。趣旨は読まれないnoteを書くこと。

しかも、書く時は全力投球で真剣に書く。面白がってもらえるものを書く。ただしそこで面白いと思うのは「自分」。なかなか面白い。

この企画の生みの親はルミさん。

ただしハッシュタグ付けても読みには行かないからね、ともある笑。


noteにやってきた頃は企画に随分参加していた。

そして今、企画ものに勝手に参加してみたくなった笑。


またnoteを書きたくなったわけ


noteで確信したこと

せっかくの企画。自分に向けて真剣に書いてみる。

note暮らし2年4か月の総括だ。

思えばnoteにやってきたとき、わたしは自由に動けるなんてもんじゃなかった。

自分の心がガサガサと荒れていた。久しぶりに思い出したけれど、あれはきつかった。

ふとしたことで傷口が開いた。それにすべてが疑わしかった。だからわたしは動かなかった。

またこの傷が開くんじゃないかと懐疑的だった。

だからようやく立ち上がった自分を守るためゆっくりとしか動けなかった。ほんとうはずっとずっと止まっていたかった。

母の介護も始まっていた。

最初は読ませてもらった。毎日毎日。書くよりひたすら読んでいた。

それがよかった。

それで気づいた。

ああ、わたしが思ってきたことは間違いじゃなかったんだと。

わたしの経験したことは必ず既に誰かが経験しているに違いない。ずっとそんな気がしていた。

けれどそれを確かめるすべがなかった。なぜってわたしは止まっていたから。

けれどわたしの予測は外れてなんかいなかった。誰もが傷を負っていた。

それがわかった。

わかっていたけれど、それが本当にわかった。

簡単なことだし単純なことだけれど、それがどれほど大きな気づきだったか。あの頃のわたしにはその気づきこそが薬だった。

それは本を読んでいても分からなかった。分かるけれど、分からなかった。

普通の人がたくさん暮らすこのnoteで、その人の昨日の、一昨日の、半年前の、一年前の記憶が語りかけるように綴られていた。ここには声が溢れていた。

だから本当に分かったんだと思う。

わたしの経験したことは必ず既に誰かが経験しているに違いないってことが。

それだけで良かった。

わたしはそれだけで良かったんだと思う。

それがどうしても知りたかった。

だから、あなたには、そしてnoteには、ほんとうにお世話になったと思っている。


書けなかった

けれど書くってことはそれほど簡単なことじゃなかった。

何度も何度もトライしたけれど上手くサクサクとなんてぜんぜん書けなかった。

お蔵入りしたものもあったけれど、それより、まず書けなかった。

わたしにはまだ「書く」の意味さえ分かっていなかったんだと思う、

だからわたしはここを留守にするようになった。

そう、音声配信に出かけていくようになった。


声にする

声にしたものを外に出す、これは刺激たっぷりだった。

noteにやってきた頃のわたしには考えられないほどの進みようだった。

音声を収録してアップする。たったそれだけなのに、なぜか眠れなくなる。夜中に目が覚める。夢で話の続きを話している。

可笑しなことがどんどん起こり始めた。

どうやら神経の問題らしい、そんなことに気づいてわたしはSNSは朝集中することにした。朝なら寝るまでには頭の整理は終わっている笑。

こうして夢中になって、やがてわたしはnoteから離れていった。

あれほどお世話になったのに、書くことだけじゃなく、気持ちまでも離れはじめた。


なぜかまたnoteへ

季節の変わり目に服を出す。「あれ、こんな素敵な服をわたしいつ買ったんだろう」そんなことに気づくことはないだろうか。

そう、わたしはある日ふとnoteにわたしの席があることに気づいた。

ー--

最初は1週間に1本書いていた。

それが2週間に1本となり、やがて月に1本しか書かなくなった。

ー--

けれどふと気づいたのだ。

あれ?わたしこんないいプラットホームにいたんだと。

そう、それは話すことに慣れてきた時にふと気づいたこと。

noteがなんだか違ってみえたのだ。

ああ、noteは音声とは違うんだなそんなことがはっきりと思えた。もっと違う表現ができるんだ…と。



読まれないものが書きたい

わたしが苦しかったのは、読まれないものが書きたかったから。

人が生意気だとか、なぜあなたがそれを言うのかとか、そんなものが書きたかった。

けれど自信がなかった。おこがましいって気分に負け続けた。

だから書いてはみるものの、ちょっとした罪悪感をもっていたりした。

ただ音声はわたしにとって斬新な場だった。だって話すことなら毎日普通にしているのだから。それでもなぜか上手くいかない。周りの人のように気楽におしゃべり出来ない。

だから転んでは立ち上がりつたないおしゃべりをどんどん配信していった。どんなに上手くいかなくても、それでもやっぱり書くより手軽なのだ。

それから毎日配信をやりはじめた。昨日で60日。そうしたらその道の途中でクリアに分かってきたのだ。

簡単なことじゃないと。

そう、混ぜちゃえっていうのがわたしの出した答え笑。どんどん話して本当に話したいたいものを混ぜちゃうことにした。

そうしたらわりとさらりとできた。

そう、それをここnoteでも始めてみようと考えたのだ。

どんどん書いてちょいちょい混ぜちゃう本当に書きたいものを混ぜちゃう。

そうしたらサクサクと書けるようになった。

可笑しなものだ。わたしは読まれたかったんだなと思う笑。だからバンバンとは書けなかった。本当に書きたいものが。

でもね、読まれなくてもほんの僅かな人に届けばいいものを書けるようになった。

いいじゃない。読まれなくても。進んでいこうよ。



書きたいものには尋常じゃない作品が混ざっていたりする

そしてわたしはここnoteで昨日連続20投稿を達成した。

noteをはじめて今更の挑戦だ。

だからこそ出会いもあった。近頃はまたnoteで色々な方と知り合いはじめている。こんなこと久方ぶりだ。

そして昨日わたしはポロポロ泣いた。泣いて泣いて涙が止まらなかった。そんな作品と出会った。

だからnoteを読むのが好きなんだと思う。

それはまさかの出会いだった。もう出会ってはいたけれど、noteで動きはじめたからこそもう一度みつけてもらえて。そしてわたしもあなたを再び見つけた。

最愛の人を亡くす。

けれどそれは悲しいだけじゃない。そこからまた一緒に育ちはじめる深い愛がある。それを教えてくれる人。

わたしも父とそれに似た別れを経験している。人は傍に居ても居なくても繋がっていられる。

良かったら読んでほしい。これは読まれないnoteではなく読んで欲しいnote。



また書きたくなったわけ

ここには普通の暮らしをした人たちが大勢集まっている。だからわたしはまたnoteが書きたくなった。

読まれなくてもいいnoteを書いたって誰も笑いやしない。分かっていたけれど、今はそこが体で分かる。ちゃんとわかる。

書きたいことは書いていい。

たとえ読まれなくても書いていい。

だって、いま書かなければ永遠に忘れてしまうことばかりなのだから。

だからわたしは書き留めておきたい。小さな気づきを。誰も読みたくなくてもそれはわたしの中に眠っている大切な記憶なのだから。

わたしはこれからも読まれないnoteを書き続けていく。それが許されるのがここnote。

それがわたしがまた書きたくなったわけ。


※最後までお読みくださりありがとうございました✨


※スタエフでもお話ししています。よかったらお聴きくださいね✨

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