【介護】焦りは禁物!
昨年、コロナに罹った母は発熱が3ヵ月続いた。当時診察してもらえる病院は無く、夕方から顔がぼんやりと変化する母を見るとわたしは毎度おろおろとした。
田舎からわたしを頼ってきた母に「いいよ、一緒に暮らそうね」といったあの数年前、介護も引き受けるつもりでいた。ところが、想像と現実とでは違うのだ。全く違う。
一週間ほど前、母が腰の骨を痛めて歩けなくなった。そこから回復傾向にあったものの、夜中のトイレで派手に倒れ、そこから坂道を転がり落ちるように起きられなくなった。そして食べなくなった。
仕方ない。来年で90歳、なにがあってもおかしくない年齢なのだ。
それにしても、ご存知だろうか?人の体というものは、思った以上に重い。亡き父が寝込んだ時、大柄で骨太の父の体を2人がかりでようやく起こして食事をした。父の思い出話をする時、母とわたしは何度も、「お父さんは大きかったから大変だったけれど、お母さんなら小さいから大丈夫だね」なんて言っていた。けれど、これが不思議と同じなのだ。
150㎝にも足りない母の体を、なぜかわたし一人ではどうしても動かせない。小さいはずの母の体は石のように重く、腰の痛みが走らないように体を動かすにはテクニックが必要だ。今は体を起こすのはトイレの時だけだけれど、それでもとにかく恐ろしく重い。
どうしても病院へは行きたくないという母は、何とか自分でもう一度普通の生活に戻ろうと思っている。ただ、腰骨っていうやつはやっぱり体の要で、歩く時だけでなく、体全体を支えるその骨は、横になっていても、起き上がろうとしても、寝ようとしても、くしゃみをしても、飛び上がるほど痛むものらしい。
痛めてしまったものは仕方がない。回復を待つのみだ。
こんな時、母自身、焦るところがある。恐らく、娘家族に迷惑をかけてしまうと気にするのだろう。
ところが、さすがの我慢強い母が、今回ばかりは日に何度もわたしを呼ぶ。秋だというのに、わたしは母のたった一度のトイレ介助で、ぽたぽたと大粒の汗を床に落とす。そして、夜になると自分の体が悲鳴を上げる。そんな時、あゝ、これは本物の介護なんだと思う。
実はわたしの周りには、夫の介護、親の介護をしている人が何人もいる。ほとんど外に出られない、もう何年も人に会っていないという方も何名か知っている。あの方はこんな暮らしをもう何年もされているのかと思うとどうしようもない気分になる。
けれど、けれど、なのだ。こんな時、焦っちゃいけない。焦るとろくなことがない。焦るってことは、なに一ついい結果を連れてはこない。
ゆっくり治して、また母の大好きな植物をながめたり、お掃除したり、洗濯ものをたたんで欲しい。ほんの少し手伝ってもらっていたと思っていたけれど、母は結構家族のために働いてくれていた。そして、母は本気でまた階段を下りてリビングでテレビを観る気満々なのだ。
良くなる時にはきっと良くなる。本人にあれほど強い意志があるのだ。わたしが89歳の時に母のような気持がちゃんと残っているだろうか。
ゆっくりでいいからね、そういうと、母は安心した顔をする。そんな母の顔を見るとわたしも安心する。諦めない人を前に焦っちゃいけない。病院にはいきたくないというのなら、きっと母はまた元気になるだろう。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています
※女性の働き方を変えたい!とプロジェクトを立ち上げ動いています。今月はクラウドファンディングを立ち上げる予定です。それなら協力するよとお思いの方、是非繋がってくださいね✨