人と話して自分が変わる
わたしは、オンライン文学部に所属していまして、そこでは月に一度テーマを決めて各自が本を紹介しながらテーマについて語ります。
今年最初のテーマは「変化・希望」でした。
わたしはオードリー・タンさんの本を紹介しつつ、「変化」には「学び」が必要という内容をお話ししました。
その振り返りを少ししてみたいと思います。
わたしがタンさんを知ったのは、起業2年前の2021年でした。
その頃、在宅介護中で母がコロナに罹り、3ヵ月熱が下がらず、発熱しているため病院にも行けず、保健所でも病院でも、自宅で様子を診るようにといわれるばかりでした。
そんな時、「オードリー・タンの思考 IQよりも大切なこと」を手に取り、タンさんのお母様の考え方に心を揺さぶられたのです。
タンさんは、世界が注目する天才ですが、お母様がいなかったら、今のタンさんはいたでしょうか?
タンさんは、小学校を複数回転校し、不登校になり、中学で学校教育から離れます。そのタンさんに寄り添うために、自宅で学習に付き添われたのがお母様でした。
そのお母様は、まだタンさんが小学生の頃から、大学の先生方と交流をさせるなど、タンさんに色々な学びの機会を探し与えます。
伝統的な台湾の教育に合わない我が子を受け入れたお母様は、その後、学校教育法で規定されていない方針の新しい教育、オルタナティブ教育をする学校を作られた方でもあります。
わたし自身は、誰も教えてくれなかった日本女性の置かれた厳しい現状を若い人に伝えたいと介護中の2023年に起業しています。
常識とは思った以上に強い力を持つもので、わたしの周りでは、介護する側の人は動けないという常識がありました。起業など、とんでもないと。そうした常識を、わたしはタンさんのお母さんに外してもらったのです。
ところが、その文学部の本の紹介で、
「希望は絶望の後にしか生まれない」
という言葉を紹介された方がいました。
恐ろしくインパクトのある言葉でした。
ただ、それが腑に落ちたのです。
わたしは、9歳で失明し、18歳で聴力まで失いながらも、世界で初めて盲ろう者の大学教授になった、東京大学先端科学技術研究センター教授・福島智さんとお母様の実話が映画になった『桜色の風が咲く』を観ています。
利発で、明るい少年の彼が視力を失い、聴力まで失い、深い絶望に突き落とされるのですが、彼はその絶望の中で、自分の宿命を悟り希望の光を見つけるのです。
わたしたちは、希望という言葉を気楽に口にします。
けれど、希望とは、確かに稀有なものかもしれません。
絶望を味わった彼らのお母様方は、それでも絶望に浸り続けません。だからこそ、タンさんや、福島智さんは、絶望の後に希望を捕まえられたのだろうと思うのです。
一人でも寄り添い受け入れてくれる人がいる、その存在は、どんな人にも必要だと思うのです。
わたしはこの回で、絶望の先に、それまで思ってもみなかった希望が見つかることがあるという学びを得ました。
そして、人が変化するのは、こうして人と接した時に起こるものだとも思えたのでした。
※最後までお読みくださりありがとうございました。