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考え方や理想から生み出されるもの

今もって、家族の体調が整いませんが、

今朝、うしがらさんが、暮れに上映会を開いた会場、自由学園の創立者の言葉をstand.fmで朗読してくれていださっていことに気付きました。

それは、こんな内容でした

「いつの場合でも、現実はより高いものになっていくための一階段である。現状に満足することができない心が望みを作る。その望みを捨てずよく見ると、努力して手近な理想に達するべき道は、その中に幾つか隠されている」  

羽仁もと子

羽仁氏は、日本初の女性新聞記者で、結婚後、夫と共に、文部省令によらない自由主義にもとづく女子教育の場、自由学園を1921年に作ります。

わたしは偶然にも、女性問題に関する映画上映会場として、こんな歴史のある学校を選んでいました。

うしがらさん、素敵な配信、ありがとうございます。

ところで、自由学園と同じころ、学校を設立した女性がいました。

津田梅子氏は女子英学塾(今の津田塾大学)を1900年に設立します。その彼女は、ご存知のように、伊藤博文ら使節団と米国に渡った7名の女性の一人で、米国で高等教育を受けています。

河合道氏も、また留学していますが、1929年に恵泉女学園を作ります。



そして、忘れてはならないのが、現代にも影響を残している、歌人の与謝野晶子氏と平塚らいてう氏です。

二人は激しい論争を繰り広げました。

その論争は「女性保護論争」と呼ばれます。

「青踏」の元編集長だった平塚氏は、「女性の自己解放」を訴えますが、その考えは「女は家にいて家事育児に専念すればいい」というものでした。

意外ですよね。

一方で、与謝野氏の意見は「女性も経済的自立を」です。



やがて、与謝野氏はこうした不毛な論争を降りて、

1921年、夫と文化学院を作ります。




こうしてみますと、

人の考えや理想が、教育機関という、後世に残る財産を作り出すことがありますが、

その一方で、

人の考えや理想が、後世の女性の生き方を縛る制度や意識を作り上げることもある、ともいえそうです。


うしがらさんの朗読から、いろいろと考えてみました。

それにしても、今の風邪はしつこいですね。



※最後までお読みくださりありがとうございました。


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