Netflix(ネットフリックス)を1.5倍速で視聴するということ:稲田豊史「映画を早送りで観る人たち」
※注意※
今回の記事はかなりダラダラした駄文になってしまっています。
校正はしたものの、自分で納得のいく内容にはなっていません。
かといってこれ以上校正をつづけるのもしんどいので、
中途半端ですがアップすることにします。
※
稲田豊史「映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形」
を読んだ。
これは面白い。
読みやすく、すぐに読み終えられるが、
それでいて色々と考えさせられる。
要は、
映画配信サイトの大手Netflix(ネットフリックス)が、
1.5倍速視聴モードを搭載した。
それで映画を観る人たちは、
一体どういう人たちで、
何を考えているのか──、
という話である。
YouTubeやAmazonプライムビデオの、
10秒送りなども含めるが、
つまり映画を一本丸ごと普通の速度で味わわないという人だ。
これが特に若者を中心として最近増えており、
著者の調査によると、
20代で倍速視聴経験者は約半数(50%)に上るという。
これがまた、変な人たちではなく、
ごく普通の、一般の若者たちなのである。
「映画を観る」という概念が変わろうとしている。
著者は上手い事を言う。
今の時代は、
「映画を鑑賞する」時代ではなく、
「コンテンツを消費する」時代である。
時間が無く、
手っ取り早く大量の映画を見るためには、
倍速や10秒送りなどの機能を駆使しなければならないのだ。
では、なんでそんな思いをしてまで大量の映画を観なければならないのかというと、
友達同士の話題についていくためだ。
※余談になるが、「こち亀」の中で、
全く同じようなテーマが何十年も前に描かれていた。
つくづくすごいマンガである。
読み始めて最初の頃は、
倍速視聴をする人の気持ちがさっぱり分からなかった。
ファスト映画(2時間の映画を切り貼りして10分くらいでまとめられている動画)を観たり、
1.5倍速で視聴したり、
それで友達に「ああ、あの作品?見たよ」って言って、
話題に乗っかるためとは言っているが、
ファスト映画を見て本当に「映画を見た」と友達に言えるのか。
あらすじだけ読んで「本を読んだ」というものじゃないか?
今の若者(以下「若者」という言葉を多用するが大体10代~20代前半を想定して書いている)は、オタクに憧れている、という(これもまた驚くものだ)。
今の社会、ジェネラリストよりもスペシャリストを目指している若者が多い、
らしい。
オタクになるためには、大量の映画やドラマを見なければならない。
そのため、1.5倍速視聴や10秒送りで見る事も辞さない。
さらに言うと、
今の若者は心にストレスを感じたくない。
仕事や学校、現実が辛いかららしいが、
映画やドラマには、癒しのみを求めている。
で、
例えばサスペンスドラマなんかでは、
誰が殺されるか分からずにハラハラするのがストレスのため(それが面白いのだと思うのだが……)、
若者たちは、あらかじめネタバレサイトで、あらすじに目を通す。
誰が殺されるか。
そして、誰が犯人か、まで知ってから、
映画を見始めるのである。
なんだかなあ。
味気なくないか?
と思いきや、
実はこの部分は、私も同調するところだったりする。
というのも、私はここ数年で、
ミステリー小説を読むのが苦痛になってきたからだ。
以前別のブログやTwitterでも書いてたように思うが、
要するに、
ノンフィクションにハマってしまった結果、
明らかに作り話であるフィクションにあまり魅力を感じなくなってきてしまったのである。
エンタメ小説、中でもミステリー小説は、
どちらかというと、
犯人は誰か、
殺人を犯した動機は何か、
トリックは何か、
といったものがメインであり、
極論すれば要するにプロットが全てである。
そこには、純文学のような、
文体の美しさというものはほとんど必要ない(たまにあるのもあるが、そういう作品はまだ読むことができる。個人的には「フロスト警部」シリーズなどがそれにあたる。対して西村京太郎とかアガサ・クリスティーなんかは完全にプロットのみである)。
東野圭吾とか昔は大好きで読み漁ったものだが、
つい最近、「マスカレードナイト」を読み始めたものの、
最初の方で苦痛になって放り投げてしまった。
同じように、去年の「このミス!」を受賞した「黒牢城」、「medium」の続編である「invert」なども、途中で投げ出している。
倍速視聴や10秒送りというのは、あれだ、
ミステリー小説を読んでて、
手っ取り早く犯人やトリックを知りたいと、
パラパラと急いでページをめくっていくのに似てるんじゃないだろうか。
「オタクにはなりたいけど、たくさんの作品をくまなく見るのは面倒くさい。
『とりあえず、これは見ておけ』っていうリストだけくれないか。
倍速で見るから」
これが今の若者の本音らしい。
……「オタク、なめんなよ」と思ってしまう。
いや私だってオタクの域に到達してるかどうかは怪しいが。
かといって「時間がないから倍速視聴する」という割には、
スマホゲームのガチャにハマってるというのは矛盾してないか。
私からすれば、あれほど時間の無駄なこともないのだが……。
著者からすれば、
家庭用据え置きゲームのプレイヤーは「ゲームを楽しむ」、
スマホゲームのプレイヤーは「刺激を楽しむ」
ということらしい。
私も20代30代の頃は、ゲームをしていたが、
今思うと、よくあれだけやってたなあと思う。
大作RPGはプレイ時間100時間超えとかザラにあった。
とりあえずスマホゲームにハマっていないのは幸運なのかもしれない。
いや白状すると、ぷよクエだけは一時期ハマってしまっていたのだが、
同じことの繰り返しで、
なんだか不毛な気がしたのだ。
そう言われれば、
本書の中で書かれているのだが、
若者たちは、
スマホゲームをするにはするが、
そのストーリー部分は飛ばしてしまうという。
手っ取り早くゲーム部分を味わっている。
まさに刺激だけを求めている。
パズルゲームで大連鎖したり、
ガチャでレアキャラが出たりしたときに、
アドレナリンやドーパミンが出るのが気持ちいいんだろう。
これって、いわゆるギャンブルじゃないか?
パチンコで大当たりを引いたり、競馬で大穴を当てたりするのと同じ。
実際、ガチャでレアキャラを引いたとき、
ギャンブルで当たったときと、
脳の同じ部分が反応しているという研究結果を読んだことがある(ソースは今不明だが)。
まあ、という訳で、
「若者たちは」を連発してきたが、
要は本書は、
「最近の若い者は……」
「この国の未来は大丈夫か?」
と、
2000年前のギリシア文明の頃から言われている(らしい。文献が残っていると聞いたことがある)、あれ系である。
しかし、読んでいて私は反発するだけだと思っていたら、
意外や、同調する部分も確かにあるのだ。
例えば、これは年齢のせいとは思いたくないが(まあ実際それもあるんだろう)、
2時間の映画を一気に見るのはしんどくなってきた。
2時間以上の自由時間をなかなか取れなくなってきた、というのもあるかもしれない。
そこで、私の場合は30分ずつ区切って見たりしている。
2時間の映画なら、
30分×4、4日間かけて見る訳だ。
10分しか見られないときもあるので、
一本の映画を一週間以上かけて見るときもある。
結果、
最後まで見ずに別の映画にも手を出してしまい、
今どの映画を途中まで見ているか思い出せない程である。
読書にしても同じことだ。
現在私の積読は600冊を超えていると前にも書いたが、
これだけ読む本が多くあるにも関わらず、
時間は無い。
結局読み進めるにつれて、
その本を読み続ける意識が低くなってしまうことも多く、
どうしても並列読みになってしまう。
あるいは、最近気づいてマズイなと思ったのだが、
軽い本ばかり買っているときがある。
ガッツリ1か月ぐらいかけて読む重たい本ではなく、
一気に読んだら2~3時間で読めそうな、
文字の大きい軽い本だ。
これらなんか、正に、
「作品を味わっている」のではなく、
「コンテンツを消費している」
というのに陥ってないか。
本書を読んで、自分を顧みると、
実は自分も似たようなことをしてるんじゃないかと、
思わされて驚くのである。
本書の中では、倍速視聴のテーマを軸にして、
今の若者を取り巻く社会の雰囲気、
その中における若者たちの心理も描いていく。
なるほどと頷かされることばかりだ。
また、現代は評論本が売れないようだ。
これには思わず頷いた。
Twitterを見ていても思うのだが、
作品を少しでも否定する事が許されないような雰囲気になってきているのだ。
正当な批評だったとしても、
その呟きに対して、
「その作品が好きな人が不快になる投稿をやめろ」
というリプや引用リツイートがあったりする。
これについても著者は本書で言及されている。
自分の好きな作品はけなされたくないのだ。
だから評論なんかお呼びじゃない。
ひたすら作品をヨイショする、ファンブックが売れるのである。
それにしても、批評もできないなんて私にとっては息苦しい事この上ない。
このnoteでも結構批評レビューを書いてきたが(多くの人が絶賛しているトップガンマーヴェリックの批評記事などは最たるものだろう)、
その場合でも、最初に必ず、
「この記事には批評が含まれています」的な注意書きを書くようにしている。
ノクターンノベルズ(18禁小説投稿サイト)における、
NTR(ネトラレ)注意報のようなものだ。
知らずにそれ(批評・NTR)を読んでしまうと、衝撃が大きい。
結果コメント欄が荒れることになる。
そのための注意書きなのである。
しかし、作品を味わった上で、
いい感想も悪い感想も(その作品が好きだからこそ不満が目立つときもある)、
全て吐き出したいのだ。
それが私にとってのアウトプットの心得なのである。
いずれにせよ、本書は、
改めて書くと、
読み易く面白いながらも、
色々と考えさせられるテーマを提示しており、
大変興味深い内容となっている。
それこそヨイショ記事になってしまったが、
不満が無い事はない。
例えば具体的な箇所を忘れてしまったが、
オーディブル(オーディオブック)を軽く見ているように書かれている部分があった。
他にもいくつかはあったが、
それを差し引いたとしても、全体的に面白かった。
映画やアニメ、ドラマ、読書が好きなオタクたちには、
ぜひおすすめしたい本である。
(追記)
前にもどこかで書いたが、
私の脳には、
ノンフィクション受容体と、
ラブコメラノベ受容体がある。
要はキツイ本と癒し系の本を交互に読んでいるのだが、
私はこれこそ食事と一緒で、
何事もバランスが大事なのだ、
と思っている。
(追記2)
アクセス・ベース(サブスク)を否定するなら、
図書館もそうではないか。
あれも、つまみ食いができるし、
途中まで読んで面白くなかったらすぐに棚に戻せる。
(追記3)
本書ではラノベの話もよく出てくる。
最近やたらと流行っているなろう系。
異世界に飛ばされて、
もともと持っている現代の知識と技能で、
その(中世的)世界のチートとなり英雄となる。
あれ、これってどこかで聞いたような……、
そうだ、
死霊のはらわた3「キャプテン・スーパーマーケット」(アッシュVSアーミーオブダークネスという原題が好き)
じゃないか!
さすが我らがサム・ライミ監督である。
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