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そのままのわたしはひとが怖くて消えたい


*かなりセンシティブな内容です。










日常は『私』の演じ分けの連続



ひとが怖い。


いや、正しくは『そのままの私』でひとと接することが怖い。


最近、『そのままの私』のことを知っている友人たちと会うことに対して、
ものすごーーーくハードルが上がっている。


ここで誤解されないように声を大にして言いたいことがあるのだが、
それに関して彼らは全く悪くない! ということだ。
むしろ私の内面の問題で起こっていることなのだ。



私は普段、過剰に『自分』を演じ分けている。



学校にいるときの私、家にいるときの私、学校の友達と会うときの私、去年入院したときに知り合った友達と会うときの私、主治医の前の私、スタッフさんと会うときの私__


少なくとも私がどの役割や立場を考えないで最も私らしくいられる時間は、『自分のために書いているとき』だ。


でも、書いているときの私ではひとに会えない。
書いているときの私は、無防備すぎるからだ。


正直、自分でも過剰に理想の『自分』を演じすぎだと思っている。



本当は元気がないのに元気そうに振る舞ったり、頭で考えていることと実際に話していることの違いが大きすぎたり。



別に誰にも頼まれていないのに勝手に
『優しくて明るくてどこにでもいそうな学生』を演じてしまう。
そんな無駄な努力をしているので、毎日外で生きるのは息苦しい。



でも演じることをやめられない。
私がそこまでして演じるのは、10年間持ち続けたある恐怖が
今もうまく自分から切り離せないからじゃないかと思う。




ネガティブな私を見せることが怖い


私はうまくひととつながれなかった経験を幾度もしてきた。


具体的に書くと、私は中学生の頃から去年の春あたりまで心を許した相手に頼りすぎたり、重い話ばっかりしたり、死にたいと言ったり……。
俗にいうメンヘラになってしまって、相手に依存し、結果的に相手が離れていってしまう経験をたくさんした。


今の私は、そのような対人関係になるのが怖くて、自分から友達を作ることを避けている。つまり、依存するのが怖いので、対人関係そのものを遮断しがちになった。



また、友人たちのことはとても大切に思っている一方で、
自分のことを良く知る友人たちに対して
見捨てられるのが怖いという気持ちが強いので
コミュニケーションを取るだけでも不安になる。


本当は彼らに会って話したいと思っている私の脳内では、

「死にたい」私を受け止めてただ話を聞いてほしい私vs頑張って元気を演出して最後まで楽しく乗り切りたい私

が乱闘を繰り広げることになる。


だってさ、死んだ顔の友達に会っても楽しくないだろ! という自分と、それくらい私のことを知ってる友達の前では書いてる時みたいに素直な私でいたいよ!!! という自分とでスマッシュブラザーズ大乱闘が発生し、


『会いたいけど会いたくない』


が出力される。



また大事な友達に見捨てられたら、私はひととうまくつながりたいのにつながれないことに対してより苦しむだろう。


だから私は自分から声をかけることを避けるようになった。


私には一般的なひとたちのように依存先を複数持つような対人関係を結ぶことは無理だと諦めた方が、
最初から誰とも仲良くならないほうが
自分を傷つけないためにも相手のためにもなるのではないか。


最初から関わらない方がいいなんて考えが間違っているのは、自分でもわかる。練習しなくちゃ、何事もうまくならない。


だけどもう自分のせいで誰かから縁を切られることは耐えられない。


それに誰かから攻撃されることが怖い。批判されることが怖い。傷つけられることが怖い。感情的な自分を知られることも怖い。何かを失うのも怖い。私には怖いことが多すぎる。



だから私は自分を守るために『私』を演じることをやめられないのだろう。


それが自分の首を絞め、死にたいと思わせているのだとしても、それでも怖くてやめることができない。


大事な友人たちの前でいつもの明るい私でいられないのなら、
いっそのことこのまま消えたい。

それか全部忘れたい。
これまでのくるしかったことを全て。




そのままの私でいるのが難しいけど、


そもそも4月から今日に至るまで日常的に希死念慮がある訳で、
その時点でまあまあこころは息切れしている。

それに加えて大学では至って普通の顔を演出して、
家では落ち着いているようにして、
おふとんの中で死にたいと思いながら寝て、の繰り返しを
4ヶ月しているのでもう考えがお先真っ暗になりかけだ。


周囲が就活や創作に熱を注いでいる中で、
何事も中途半端にしか頑張れず、もっと頑張らなきゃという焦りと、
でももう無理! という自分の状況に
死なない方がいいとわかっていても
「もう死ぬしかないのでは(呆然)」
と毎日思う。


死なないでくださいね、の釘刺しが私を苦しめてる。

死なないでいても私の生活の責任は私が取らなきゃいけないのに、
そこまでして頑張れないし、

というかこれまで死にたいなりにめちゃくちゃ頑張ってきたつもり
なんですけどこれ以上頑張ることを求められても……と思うので

「もう社会に適応できないから消えたい!!!」

と毎日祈っています(高確率で叶わないのだとしても、ギリギリできることをやりつつ祈ってしまいます)。


今のところ、そのままの私でいられる関係を
未来の私が少しずつ構築していけることを
祈るしかできません(なぜなら今の私は希死念慮がmaxだから)。


今回もまったくまとまりのない投稿になってしまいごめんなさい。

そしていつもスキやコメントをくださってありがとうございます。

それじゃあまた!















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