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儚さもglitterも生きた心地もしない話

*センシティブな内容です









具合は悪いです。
もはやデフォが調子悪いだから、気分が少しでも良いと嬉しい。


今日のところは自分のためだけに書いているので、まとまりのない文章になります。オチのない文章を読むのが苦手な方はブラウザバックしてください! ごめんなさい!







迎えた診察日。
しかし正直自分の気持ちを分かりやすく話せる自信がない。

頭のどこかで常に希死念慮がささやき続けていると、どこからが歪んだ認識なのかさえ分からない。

高校生のときに少しかじった程度の認知行動療法のおかげで大きな歪みはなくなったものの、少しねじれている自己否定感は健在なのだ。





「死なないでくださいね」

「はい」

カレンダーに視線を落としたまま事務的な笑顔を貼り付けてお行儀よく返答する。

ありがとうございましたーと診察室を出た。

ここで死にたい死ぬなんで死なせてくれないのかとか
馬鹿正直に言おうものなら向こうは心配するし、
医者としての立場では私をそのままほっぽり出すわけにもいかない
と思ったので、優等生のフリをして、はいと返した。


本心がどうなのかは自分でも知らない。
やけに自分が冷静なのだけはわかる。


死にきれなくて苦しむのだけを避ければ、それ以外のことは
もう気にしていられない。申し訳ないけど。


私の願いはこのままなにもかもが変わらないことだ。



でもその願いが叶わないことを知っているし、自分が強制的に入っていくことが目に見えている社会は、汚いけどきれいで、きれいだけどグロい。



綺麗事言ってる場合じゃないのはわかる。




社会に適応するにはそれが求めている形の『自分』というピースに当てはまるように自己を形成することに躍起になるしかない。


自分が冷笑的でネガティブなのは見え透いたことだから、適当に明るい部分だけ切り取って、一般的に優しいと思われる言動をして、日常でどれだけ他者と関わる時間を減らすかに注力するしかない。


でも、そんな生き方して楽しいのだろうか、とふと思った。
楽しくはないだろうなあ。
そもそも、私はなにを楽しいと思うのか、すら感じにくくなっているんだし。


だからそんなことを思っている私の耳に届くどの言葉も
本当に申し訳ないのだけれど、乾いた言葉にしか聞こえなかった。


主治医は私のことを本気で心配していろいろと言ってくださっているのかもしれないけれど、そうだとしても私は私自身のことを思いやる余裕すらないのだ。当然、他者のことまで考える余裕はほぼゼロだ。


できるだけ毎日をひとりで落ち着ける家で過ごして、それ以外の刺激は受けたくない。特に他者との関わりから受ける刺激が怖くて仕方ないと感じている今の私にとって、この社会で生きろと言われることそのものが苦しい。


確かに私が今書いていることは甘えかもしれないし、
実際そうかもしれない。


ただ、私は想像以上に誰かとつながることに恐怖、しんどさ、過剰なほどの予期不安を覚えている。誰がなんと言おうと、私はこれからのことを思うだけで死にたくなり、実際何度も死のうとしたのだ。



たかがそれだけでと思うかもしれないけれど、私には対人関係の悩みや感情が一番怖い。
なぜならそれらは自分の中だけで解決することは難しいし、なんにしろ相手にも相手の都合や人生があるからだ。

そういうことを理解して良好な対人関係をいくつも(そう、ひとつだと依存になりやすいから複数持ちたいし、持てと言われる)つくることは、私にとってものすごく難しいのだ。


というか、そもそも私が複数の依存先をつくること(健全な友人関係を複数持ったり、恋人関係を良好に継続したりすること)ができる人間ならこんなふうには悩まない。それができないから苦しいんですけど……(性格悪くてすみません……)


その状態で家から出て職場という逃げ場のないコミュニティで働けるか、
なんて、夢のまた夢で、今の自分には負荷が大きすぎる。



ただのアルバイトですら出勤前に緊張で吐いた私が、何十年も社会というコミュニティで『地味で目立たないしいてもいなくても特に問題ないどこにでもいる明るそうな人間』として擬態し続けるのは不可能だ。
間違いなく途中で頓挫する。


そういうことを私は日常のふとした時間に思い出しては暗澹な気持ちになり、いっそのこと今夜眠ったまま死んでしまいたいとか、消えたいとか思う。
もちろんそんなことは起こらない。
しんどい朝がやってきて私は義務的に朝の支度を済ませ、通学の電車に乗って、授業を受け帰宅して課題をこなして、また落ち込んで寝る、の繰り返しだ。


でも死ぬことを延期し続けているという意味では、私は頑張っているのかもしれない。
もう死んじゃえと思ったあの昼間も夜も帰り道も私は死ななかった。

とりあえず寝よ。

とりあえず頓服飲も。

とりあえずこれ読もう。

とりあえずとりあえず……。

そうやっていたら、いつの間にか私は100日近くをやり過ごした。

もちろん、たくさんのひとたちのおかげで死なずにいられたという面もあるので、本当に普段から私を支えてくれている友人たちや家族、医療関係の皆さんには感謝してもしきれない。


でも、1年前の自分じゃここまで『死にたい』を引き延ばせなかっただろうなとも思う。



それに自死は決して甘美で儚いことではないと個人的には思っている。
死にたいからと言って死ぬのだとしても苦痛を伴うだろうし、
死んだらどうなるかなんてわからない。

もしかしたら地獄なんてものが本当に存在してそこで永遠に苦しむことに
なるかもしれない。


若くして死ぬことはときに儚いことのように語られるけれど、
実際は違うと私は思う。


だからどうこうという話ではない。



ただ、私はそう自分にむりやり言いつけて『死なないでくださいね』っていうのはそういうことだよとこじつけたいだけだ。

死ぬの失敗したくないし、ほんとはいろいろやり残したことあるでしょ?
と自分に言い聞かせて、まあそうだなと適当にやり過ごしてきたし、
多分これからもそうするだろう。



もし死ぬようなことがあれば、それだけ私の苦しみが大きかったということの証明になる。



けれど、死ぬ前に私の苦しみを少し、ひとさじ、1ミリでも気がついてくれる人がいたらいいなと、思う。














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