「創作」
中学の国語の授業では、毎回授業の始めに「創作」という時間があった。
何でも良いから、2分間、文章を書き続けるというものだった。
そして毎回2名ずつ、書いた文章を皆んなの前で読むというもの。
本当にどうでも良い、くだらない文章を書き続けていたけれど、その思考の垂れ流しを皆んなの前で読み上げるのは、けっこう楽しかった。
他の人が発表している時も、その人の頭の中身を覗いてるようで、新しい発見があることも多かった。
そして、書く時間が決まっているからこそ、自分が一定の時間でどれだけの文章を書くことが出来るのかということを知ることができた。
私は元々文章を書くのが早い方なので、2分間書き続けると、人よりも書く量が多くなった。
毎回書き続けていると、書きながら次に書くことを考えることが出来るようになり、書く量はさらに増えていった。
人に聞かれる、ということで、言葉選びにも気をつかうようになった。
思考は言葉になる、とよく聞く。
それはその通りなんだと思う。
でも、逆も然りなのではないかと思うのだ。
つまり、言葉が思考を変えることだって、あるんじゃないかって。
だから、人に聞かせるために配慮や推敲して紡いだ言葉が、そのまま自分の素の思考になっていくような気がする。
「自分はこう思っている」ではなく、「自分はこう思いたい」を言葉にしたっていい。
そんな気がしてきた。
あの時は特に意識することもなく、授業の一部としてこなしていたけれど、
私が今、こうして文章を書くことが好きなのは、あの「創作」のおかげなのかもしれないと思う。
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