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『偏見』について

偏見が偏見ではなく事実かもしれないという話です

偏見とは=偏ったものの見方や考え方のこと。「思い込み」「決め付け」も含まれる

自分の中で偏見は3パターン。
それは
①相手の見方が本当に偏っている
②自分で自分をラベリングしてしまう
③偏見だと思っていたことが実は偏見ではなかったということ。

持論ですが、実は3つ目が1番残酷だと思うんですよね

1つずつ見ていくと
①は、無知なことが引き起こす偏見だと思うので、そのことを知るうちに偏った考え方は変わるかもしれない。無知は偏見の元だから。

②は、自分自身に偏見を持つ。自分なんか…と思ってしまう。日本人に多いのではないか。いき過ぎるとセルフスティグマになってくる。

③は、自身では相手から偏見を持たれたと思うことが、実は偏見ではなく、事実ということ。自分にとって都合の悪いことを受け入れるのはそう簡単なことではありませんよね。事実・真実を受け入れることは、時に残酷なことである

このように、『偏見』には、本当に偏った見方によって生じる誤解もある一方で、事実を認めず『偏見だ』と主張されている場面もあるのではないかと思う。私は、言葉を都合よくつかうのは避けたいと思う。しかし、事実に目を向けるのは時に残酷なことでもある為、難しいところでもある。


「偏見」は本当に偏見なのか?

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