
自分軸への道はえらべる。
遅ればせながら、『リメンバーミー』を観ました。
観てない方がいらっしゃったら、内容に触れるかもしれないので、読むか読まないかはご自身で決めてくださいね。
最近のディズニーは、心理系のものが多いんでしょうか。それともものがたりってほんとうはそういうものなのに気づいてなかっただけなんでしょうかね。
ものがたりは、家族が禁止する《 じぶんが好きでやりたいこと 》をやりたいのにできない、という葛藤からはじまります。
親が決めたルールが息苦しく感じてしまって、そこからどうじぶんの人生を歩いていくか、というのはもろにカウンセリングやセラピーでもよくよく取り上げられる問題だとおもいます。
つまり、ものがたりの結論としては、その《 じぶんが好きでやりたいこと 》ができるようになることがゴールになってくるわけです。
だけど、そこへどんなふうにたどり着くんだろう。ディズニーはこどもたちに、どんなふうにして、家族への想いをじぶんの人生で揺れる葛藤を昇華させていくんだろう。
そんなふうにして、観ていました。
おなじような体験を、というか、人生をかけて、とまでは言わないけれど、親の決めたルールを超えたいときって誰にでもおとずれます。
あるひとは、思春期に反抗期というかたちであらわれるだろうし、あるひとはおとなになって生きづらさに気がつき、それが、親の決めたルールにあったことに気がつくということもあるかもしれません。
わたしが学んできた心理学では、親と対峙する、というかたちで向き合います。
「親とじぶんの人生、どっちを取るの?」
という問いで、じぶんの人生を生きていく勇気を試されるのです。
たしかに、じぶんの好きなものを選んでいくって、とても怖いです。その先になにが待っているかわからない。じぶんで選ぶ道なのだから、もう誰のせいにもできないわけです。その道を選んでいくには、それなりの勇気が必要、というわけなのです。
そうすると、親とじぶん、どちらかを取るということは、すなわち、どちらかを捨てる、ということにほかならないのです。
でも。
生きづらいと感じているその、『親のルール』のなかにも、親のあなたへの愛があるのです。
愛しているからこそこんなにたくさんのルールができてきた。愛されているからこそ、うざいくらいの心配や声かけをされてきた。
そういうことに気がついていくと、感謝でそのルールを手放すことができるようになるんだとおもいます。
親と対峙する、親を切り捨てる、という方法ではなく、親の愛に気づく、という方法で、乗り越えることができるのです。
お母さんは、お母さん。わたしは、わたし。
おばあちゃんは、おばあちゃん。わたしは、わたし。
お父さんは、お父さん。わたしは、わたし。
彼らの愛があるとわかったうえで、じぶんが選びたいほうを選ぶことができる。その先にあるのは、じぶんで選んだのだから、誰のせいにもできないけれど、困ったときやつらいときには助けてもらえるんです。
「リメンバーミー」では、『愛』によって乗り越える、という方法で、親の決めたルールからの解放というゴールにたどり着いていました。
「愛されていること」を前提にした困難ののりこえかた、というものをあまりよく知らなくて、なんとなく「親を切り捨て」なければ先へは進めないような感覚があったのですが、そうじゃなく、別の乗り越え方もあるんだと知りました。
傷ついたインナーチャイルドを癒やして、育てていく、ということは、きっと泣いているこの子に寄り添って抱きしめてあげること、だけじゃなく、一緒に、与えられていた愛に気づいていくことでもあるんですね。
カウンセリングやセッションで、感情解放を繰り返すだけじゃなく、「愛されていた証拠を書き出すワーク」や「じぶんの褒められるところ(どうでもいいこと、ちょっとしたことでOK)を毎日書くワーク」で、自信がつくようになって、自己肯定感が上がるんです。
ものごとは自分軸で見ると、世界が変わって見えてきます。
「気を遣う」かどうかも、「やりたくないけど今回はやってみるか」と決めることも、じぶんで選ぶことができるのです。
「やりたくないことはやっちゃだめなのか!」と完璧主義なわたしは思ってしまうのですが、そうではなく、今回はやりたくないけど、やることにしようかな、とか、やりたくないからやっぱりやーらない、とかもじぶんで決めていいんです。
それをじぶんで決められるようになることが『自分軸』なんです。
そんな自分軸をつくるのにたくさんのワークが載っているのがこちら。
今日読み終えたばかり。
自分軸や自己肯定感について、もうたくさんやったしいいや、とおもっていたのですが、違った角度からの見方があったり、知っていたワークでもやってみようとおもうこともいくつかあって、ひとつの道しかないと思っていた雑草のなかに細い別の道を見つけたようなきもちです。
耳にタコができるほど「じぶんをたいせつに」ってことばは聞いてきたけど、まだまだたいせつにできる余地があるな、とさらに未来がたのしみになりました。
さ、これからどんな景色が見えるのか、もういちどあるき始めてみようと想います。
いいなと思ったら応援しよう!
