私は単純
それまでの紆余曲折は何だったのかと思った。
ありがとうと言われた瞬間、
私は何かから解放された。
物心ついた時からずっと、何者かにならなければいけないと思っていた。夢を持ち、叶えなければいけないと頑なに考えていた。
それはときに光る矢印のように私をまっすぐに導き、ときに狩人のように出口の見えない道へと追い立てた。
文章を書くのが好きだった私は、小説家、脚本家、翻訳家などいろいろな道を模索して結局小さな広告会社の制作部に就職した。
その部署では、企画書はもちろんコピーライティングもイベント進行もウェブ制作も何でもこなさなければならなかった。
美大や専門学校を出たわけでもなく、とりあえず「クリエイティブな」仕事をするというぼんやりとしたビジョンしか持っていなかった自分にはぴったりの場所だった。
給料や福利厚生などの待遇はあまり良くなかったけれど、やりたいことができるのならば多少は目をつぶろうと思った。
初めてボーナスをもらった夏、9時出勤の5時退勤で働いている友人が自分の倍近い額をもらっているのを知って、お金の話は他人とはしないと固く誓ったこともある。
待遇はいまひとつでも、残業が続いても、自分の企画やコピーが世に出ることをちいさな誇りにして私は毎日をこなしていた。
就職して3年が経ったころ、はじめて一人で大きな仕事を任された。半年がかりである企業のイベントの企画と実施をするという内容だった。
いくつもの細かい確認と作業に追われ、終電で帰宅する毎日。予定の変更や予期せぬ事態が相次ぎ、本当に実施できるのかと何度も不安になった。
無事にイベントが終わりほっとしながら片付けをしていると、ずっとやりとりを続けてきたクライアントの担当者が駆けて来て私に言った。
「無事に終わりましたね。本当にありがとう。」
嬉しさと安堵がこみ上げてきて、私はああこの仕事をやっていて良かったと思った。そして同時に、この仕事でなくても良いと思った。
私が笑顔になったのは、お客さんに喜んでもらえた瞬間だった。
"ありがとう"
簡単だけれど得難いこの5文字を受け取れただけで、働いていて良かったと思えた。徹夜も様々なソフトを扱うスキルも企画書もブレインストーミングも、いらなかった。
「クリエイティブな」仕事にしがみつかなくてもお客さんからのたったひとことでやりがいを感じられる、自分は思ったより単純な人間だった。
人の役に立てると自分も嬉しい、子供でも知っているような簡単なそのことに気づくのに、たくさん回り道をして、たくさん時間をかけてしまった。
けれど同時に、安心もした。
それならきっと、どの仕事にも就ける。自分はどこでだってやっていける。ずっと希望のような顔をして私を縛っていた、何者かにならなければいけないという考えから自由になれた瞬間だった。