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noteを書く時間が無い

何ヶ月もnoteを書く時間が無かった。何がこれまでと違っていたのだろう。超多忙な日々を送っていたことは事実だが、それと引き換えに充実した毎日だったのか?

今年度に入って1番の変化は短期大学の授業を担当したことである。昨年は高校の授業を担当させてもらったので、1つ加わっただけという感じなのだが、実際はこれが大きな誤算。短期大学半期15回の授業はとてつもなく大きな負担を負うことになった。

高校の授業と何が違うのか?と聞かれれば高校は1コマ50分で、短期大学は90分という違い。私の1番の勘違いは高校と同じ程度に短期大学の授業を考えていたことだ。延長線で考えてはいけないとは感じていたが、どうしても高校の授業+短期大学の授業では、高校の授業をベースに短期大学の授業設計をしてしまう。なので、始まってすぐにこれはマズイ!と気づいた私は、猛烈に短期大学用の授業準備に取りかかった。そして前期15回しかないと考えた甘い考えも、その後の苦労に結びついていったのだ。

高等教育機関で教鞭を執っている先生方は、どのように90分×15回を捉えているのだろう。文系学生相手の学部学科でそもそも90分の授業に学生が耐えられるのか?というある種恐怖にも似た感情が私にはあった。なので暇な時間ができないように、学生が寝ないように、そして私語で授業が成り立たないことが無いように念入りに授業計画を立て、授業準備をした。その結果、ここまでの12回はほぼ自分の思ったとおりの授業ができたように思う。これが1番の成果。そしてここに費やされた時間が最大の問題点だった。

そもそも私が高校で担当した教科は社会科。数年前に情報の免許も持っているが、これをやれって指示はなし。短期大学の授業は一般教養の情報系の授業。この2種類って組み合わせも時間がかかった理由です。
短期大学の授業準備は高校以上に時間がかかります。特に私の場合は、ワークショップなどを組み合わせて行ってきたので、座学+ワークショップの授業準備は時間がかかりました。学生がどれだけ社会に出たときに私の授業が役に立ったと実感できるのかはわかりませんが、結構良い授業だと思っています。あと数回の授業ですが、現在取り組んでいるのは動画の作成。テキストによる表現、画像による表現、そして動画による表現を比較体験して行く授業を行っています。この短期大学は幼児教育の単科大学です。どう、保育士さんや幼稚園の先生を養成しているのです。

もう一つ大きな出来事がありました。私と同じ歳で同じような仕事をしてきた知人と、ひょんな事からお互いの抱えている苦労が同質のものだったという事がありました。私の子どもはちょっと訳あり。ヘルプマークをバッグに付けています。(と言っても心の方ですけど)知人とはそう親しい間柄では無かったのですが、同じ歳ということもあり、機会が合えば一緒に飲んだりという間柄です。このときに相手の方にも同じような境遇があることを知りました。相手の方が深刻だとは思いますが、お互いの境遇について少ししゃべりました。しゃべりすぎたかな?とは思いましたが、結果としてはお互いに共感することも多くあり、距離が近くなったように思います。

普通に生きてればそんなに大きな苦労はないと思うのは私だけでしょうか?自分のことならどうにでもなることが、自分以外、それも自分の子どもに苦労するとは若い頃には思ってもみませんでした。本当にある日突然やってきたという感じで、子どもとのある種、戦いが始まりました。良いときもあれば突然気分の落ち込みがあって殴り合い寸前のこともありました。
こんな苦労を他人とは共有できるものではありません。しかし今回その方と知り合うことで気持ちの持ち方が少しだけ変わった気がします。自分だけという特別な感情から少しだけ解放された気がします。

色々な変化や人との関係の中で、時間が無くなってしまった。そんな数ヶ月でした。(他にもいろいろあったのですが、それはまた別の時に)もう夏がやってきます。気持ちも切り替えて自分の教育に、もっとのめり込もうと思います。いろいろあっても、とにかく授業を大切に。授業を担当している生徒が自分を評価してくれる全てだと思って頑張ります。

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